フルートソナタをヴァイオリンソナタに プロコフィエフ「ソナタ 第2番」大成功秘話

   クラシックの作曲家は、ある曲を作曲するとき、必ずその曲を演奏する楽器のことを念頭に置いています。それは、楽器は出せる音の音域が限られているからであり、また楽器特有の音色があるからです。従って、通常は「編曲」という作業、すなわち音域を移したり、調を変えたりしない限り、たとえば、チェロソナタをそのままヴァイオリンソナタとして演奏することはできません。

楽譜の扉ページ。ソナタ第2番 Op.94 フルートとピアノのための(またはヴァイオリンとピアノのための)と書いてある
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フルートソナタの評判はイマイチだった

   しかし、今日は、フルートソナタとしても、ヴァイオリンソナタとしても共によく演奏される曲を取り上げましょう。プロコフィエフのフルート(ヴァイオリン)ソナタ 第2番です。

   ウクライナ生まれのパワフルな作曲家セルゲイ・プロコフィエフは、第2次世界大戦中も祖国ソビエト連邦に居ました。しかし、さすがにドイツ軍がレニングラードを包囲し、首都モスクワ近くまで迫ってきたため、疎開することになり、ウラル山脈の西側まで移動します。疎開した先のペルミで、1943年にフルートソナタは完成しました。

   モスクワで初演されたものの、あまり評判にはならず、フルーティストたちから忘れ去られてしまいます。現代では重要なフルートレパートリーの一つとなっているので、想像がつきませんが、第2次大戦中ということも関係しているかもしれません。

   ところが、フルートソナタの初演を聞いていた名ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフが、プロコフィエフ本人に、ヴァイオリンソナタへの改作を強く勧めます。確かに、フルートとヴァイオリンは、ともに木管楽器と弦楽器のいわば「一番上の音域」を担当するメイン楽器なので、使える音域が似ています。しかし、全く異なる楽器ですから、プロコフィエフも最初は戸惑ったかもしれません。しかし、フルートソナタとして、当時はお世辞にも成功作と言えない評価しか得ていなかったので、プロコフィエフはヴァイオリンソナタに書き換えることを決心します。

戦時中の曲とは思えないエネルギーみなぎる

   まだまだ大戦が続く1944年、オイストラフの助言を得ながら、ピアノパートはそのままであるものの、フルートからは少し音型を変えてヴァイオリンパートを作り、完成します。

   フルートソナタとしては最初の曲でしたが、ヴァイオリンソナタはすでに第1番があったので、「第2番」ということになりました。もちろんオイストラフのヴァイオリンによって初演された「ヴァイオリンソナタ 第2番」は評判となり、結果的に、こちらのヴァイオリンパートから、フルートパートに「逆輸入」する形で、フルートソナタも手を加えられ、現代では両方の楽器で頻繁に演奏される名曲となっています。

   第1楽章の出だしこそ少し憂鬱な雰囲気も感じられるものの、軽快な第2楽章に、活発な最終第3楽章という構成のこの曲は、とても戦時中の大変な中で書かれたとは思えません。プロコフィエフのエネルギーみなぎる曲は、ヴァイオリンで脚光を浴び、結果的に「元ネタ」であるフルートの曲としても名曲の評価が定着しています。

本田聖嗣

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