グラナドスのピアノ曲「アストゥリアーナ」 出版社が適当につけた題名だった
先週は、スペインを代表する作曲家アルベニスが作曲し、ギターに編曲されて人気を得たピアノ曲「アストゥリアス」を取り上げましたが、今日は、「アストゥリアーナ」の名前を持つ曲を紹介します。アルベニスと並んでスペインを代表する作曲家、エンリケ・グラナドスのピアノ作品です。
12曲からなる「スペイン舞曲集」は23歳で構想
アルベニスと同じく、カタルーニャ地方出身のグラナドスは、リェイダという街に1867年に生まれました。現在、独立問題に揺れるカタルーニャの中心都市バルセロナに出て、当地の音楽院に学びます。その時に、アルベニスがスペイン音楽の創作に情熱を注ぐきっかけとなった指導者フェリペ・ペドレルに作曲を学んだ彼は、さらに研鑽を積むために、隣国フランスのパリを目指します。運悪くパリ音楽院に入学することはできなかったものの、音楽院の教授に2年間師事することができました。そして、スペインに帰り、ピアニストとしてデビューするのです。
経歴は非常にアルベニスと似ていますが、放浪癖のあったアルベニスと違い、一か所に腰を落ち着けてよりアカデミックに学ぼうとする姿勢が感じられるグラナドスですが、バルセロナに戻って作品が認められるようになると、スペインを代表する作曲家・演奏家として、多忙な日々を送ることになります。そんな彼が、23歳の若かりし頃に構想し、作り始めたのが12曲からなる「スペイン舞曲集」です。
アルベニスも「スペインの歌」や「スペイン組曲」を計画し、作り、その過程で、曲の転用などが起こり、「アストゥリアス」という曲がたどった数奇な運命は先週ご紹介した通りですが、グラナドスも、「地方色豊かな舞曲の数々を、自作の新作に織り込むことによって、スペインという国を表現しよう」とした動機はほぼ同じだったといえましょう。
そして、まずピアノ・ソロの曲として作ったということも、ほぼ同じ、つまり、アルベニスもグラナドスも、「自分の楽器」といえばピアノだったわけです。
強いて言えば、アルベニスは、自らが超絶技巧ピアニストだったこともあって、凝った作りの曲が多く、グラナドスの曲のほうが、よりロマンティックな感じが全体的にします。
北部の地方「アストゥリアス」は関係なかった
そして、グラナドスの「スペイン舞曲集」は、アルベニスの「組曲スペイン」ほど複雑な経緯による題名の混乱が起こらなかったか、というと・・・さにあらず、こちらも、結構ややこしいことになります。スペイン舞曲集全12曲の中で、グラナドス自身が名付けたのは4曲目と7曲目ぐらいだったらしく、そのほかの曲は、グラナドスは作曲しただけで、バルセロナの出版社がタイトルは適当につけたらしいのです。
5曲目が「サルダーナ(アストゥリアーナ)」という題名を持つ、今日の1曲です。サルダーナというのは、地中海に面したカタルーニャの大都市バルセロナに伝わる民族舞踊で、大変ゆったりしたもの。なぜ副題で、また北部の地方「アストゥリアス風の」とついているのか謎なのですが、バルセロナ風のゆったりした動きが、北部ののどかな風景を思い起こさせる、と勝手に結びつけたのかもしれません。
結局、グラナドスの「アストゥリアーナ」もあまり、どころか、アストゥリアスには関係ない曲です。しかし、サルダーナのゆったりしたリズムを生かしつつ、グラナドスがオリジナルで作り上げた曲の雰囲気は、北部の緑豊かな地方を想像させる、といってもあながち間違いではないような気がします。グラナドスは、民謡や民族舞踊の旋律をそのまま曲に用いることは決してせず、リズムは活用するものの、旋律は、すべてオリジナル物を作曲したからです。そこには、近代の「新しいスペイン」の芸術があったのです。
ある国が国際化するとき、伝統文化が異国で間違って解釈される・・・というのは、現在の「日本料理」などにも当てはまる現象ですが、スペイン音楽が一挙に有名になる時期に活躍したグラナドスの素敵な曲が、「題名が、南東部カタルーニャの踊り=サルダーナ、だけれど副題が北部アストゥリアス風」という多少へんてこりんな題名をつけられてしまった、というのも似たような現象かもしれません。ともあれ、「スペイン舞曲集」の中でも、ゆったりとした雄大さを感じさせるこの曲は、おすすめの1曲です。
本田聖嗣