「ギタースタイルのピアノ曲」が大ヒット アルベニスの「アストゥリアス」
先週は、フランス人、シャブリエが作曲した「狂詩曲 スペイン」を取り上げましたが、今週はスペイン人が描いたスペインの曲を1曲取り上げましょう。アルベニスの「アストゥリアス」です。
アルベニスは、以前にもこの連載で代表的ピアノ曲集「イベリア」を取り上げましたが、19世紀後半から花開いた、スペイン音楽を代表する作曲家であり、また優れたピアニストでした。残念ながら、古典派からロマン派初期にかけては、音楽後進国だったスペインでは、教育機関が未整備で、自国のすぐれた作曲家や、そして...録音がない時代ですので確定的なことは言えませんが...一流器楽奏者を多数揃えることもおそらく困難であったはずで、管弦楽作品やオペラが盛んになる、ということがありませんでした。
「放浪のピアニスト」から母国のスペイン音楽づくりに目覚める
しかし、19世紀に急速に発達したピアノという楽器は一人でオーケストラ作品を弾けるぐらい豪華な音を出せるようになったので、スペインからも、たくさんの才能のあるピアニストが輩出されたのです。そして、活躍の舞台をもとめて、スペインから外国、特に隣国フランスなどへ演奏活動に赴きました。同じ時期、音楽中心国であったフランス・ドイツ・イタリアでは、その周辺国――はっきり言ってしまえば、クラシック音楽的環境では遅れをとっている国々――の民族の音楽などを取り入れて作品を作り上げる「国民楽派」と呼ばれる作曲家たちへの興味が盛り上がってきたのです。ドイツにとっては、チェコやバルカン半島、ロシア圏の国々がそれらにあたりましたし、フランスにとっての「周辺のちょっと未開の国」はスペイン・ポルトガルだったのです。フランスで、スペイン音楽ブームが起こったのも、時代の流れでした。
アルベニスも、若いころは「放浪のピアニスト」として、欧州を中心に世界各地を回りましたが、23歳ごろから母国スペインで再び学び、新しいスペイン音楽を作ることに目覚めます。
そして彼は、8曲からなる「スペインの歌」を構想し、作曲し始めます。
その1曲目が、もともと「前奏曲」と名付けられ、後に複雑な経緯を経て、有名曲「アストゥリアス」となった今日の1曲です。
すなわち、彼が最初に構想した「スペインの歌」Op.232は、8曲中3曲しか完成しない状態で、スペインの出版社によって1892年に出版されます。そこに6年後、2曲付け加えて「スペインの歌」は5曲となります。
他方、アルベニスは、スペインの地方の名前を各曲につけたその名も「スペイン組曲」というシリーズを構想しました。これも8曲が想定されていましたが、最初に発表された曲は第1、2、3、7曲目の合計4曲でした。
ロックミュージシャンも...広く演奏される人気曲
アルベニスは、未完の曲も、タイトルだけは書き残していたので、なんと彼の死の数年後、ドイツの出版社の手によって、全8曲からなる「スペイン組曲 完成版」が計画されました。足りない第4、5、6、8曲は、アルベニスの他の作品から転用して、ひとつの曲集として出版されたのです。その折、「スペインの歌」の「前奏曲」は「アストゥリアス(伝説)」という題名とサブタイトルをつけられて5曲目に配置されます。音楽的には、この曲は、スペインと縁の深い楽器、ギターの演奏を模したピアノ曲で、「スペインらしさ」を我々が最も感じるスペイン南部アンダルシア地方のフラメンコ・スタイルで書かれているのですが、皮肉なことに、あまり関係のない北部スペインのアストゥリアス地方の名前が付けられてしまったのです。
ところが、このちぐはぐな題名にかかわらず、ギタースタイルのピアノ曲だからということで、この曲は容易に...というより、ほぼ完璧にギター曲に編曲することができました。フランシスコ・タレガや、アンドレアス・セゴビアといったギタリストたちによって、オリジナルの調も変えて編曲され、広く演奏されるようになると大ヒットし、クラシックの枠も超えてロックなどポピュラーの音楽家たちによっても取り上げられることになり、いまやオリジナルのピアノ曲よりギター版のほうが親しまれている、といってもよいくらいです。
アルベニスは、地方色豊かなスペインを描く組曲の冒頭に演奏されるように、前奏曲として、フラメンコ風のこの曲を作曲したのですが、そのギター風のスタイルゆえ、彼の死後、思わぬ経緯を経て、「アストゥリアス」は単独で愛される「スペイン風の曲」となったのです。
本田聖嗣