沖縄の「昔と今」を見つめる 変わりゆく姿と大いなる希望
■「消えゆく沖縄~移住生活20年の光と影」(仲村清司著、光文社新書)
■「本日の栄町市場と、旅する小書店」(宮里綾羽著、ボーダーインク)
2018年2月5日号のAERA(朝日新聞出版)の「現代の肖像」に、「消えゆく沖縄~移住生活20年の光と影」(光文社新書 2016年11月)の著者仲村清司氏(作家・沖縄大学客員教授)が登場した。「『沖縄』という底の見えない世界を希求して」と題された。仲村氏と沖縄本で共著もある、ノンフィクションライター藤井誠二氏のインタビュー・構成による。使用された写真は、写真界の芥川賞といわれる木村伊兵衛賞を受賞した石川竜一氏によるもので、とても贅沢だ。この記事の最後で、「沖縄は表層だけ見ていると怒られるし、深入りすると火傷する――これは仲村が沖縄の地で得た教訓」だとするのが目を引いた。
2000年代の沖縄ブームの仕掛け人
「消えゆく沖縄」は、1996年に仲村氏が沖縄に移住してからの20年間を振り返ったものだ。この本でも予告されていたが、上記記事によれば、仲村氏は、昨年秋に京都に居を移した。仲村氏は、2001年に放映されたNHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」にはじまる、2000年代の沖縄ブームの仕掛け人の1人としてよく知られている。「沖縄のおばぁ」を知らしめ、沖縄料理を紹介し、地元で根強い人気を保つご当地ヒーロー「琉神マブヤー」の立ち上げにも参加した。沖縄に骨をうずめるつもりで移住してきたという。
仲村氏は、両親が沖縄出身の「大阪生まれの沖縄二世」である。1959年生で、京都の大学を卒業し、東京にきて就職すると、まだまだ、沖縄出身者に対する差別的な扱いがあった時代だった。ただ、東京で沖縄に関係する社会活動をする中で、「沖縄」と一言でいっても、本島と離島の深刻な溝もあることに気がつき、それは埋められないまま、「葛藤」となっているという。また、「那覇は日本以上に日本になったね」という、共著もある旅行作家の下川裕治氏の第1章の冒頭での言葉が仲村氏に痛切に響く。仲村氏にしてみれば、農連市場の解体・新設にあるような沖縄の雰囲気や風景は変わりすぎた。「いまは沖縄が重い」のだ。降って沸いたインバウンド景気に沸く沖縄をみると、仲村氏の想いは傾聴に値する。
戦後地域が再び栄えますようにとの想いを込めた
一方、AERA記事には、沖縄の出版社の草分け的存在の「ボーダーインク」の編集者である新城和博氏(1963年生)も登場し、「例えば、戦後の復興の象徴である農連市場が壊されて新しい建物になっても、それをぼくたちが普段の生活の中で使いこなしてシマー(沖縄)化していくことができるんだと思う」という。そのボーダーインクから、「本日の栄町市場と、旅する小書店」(宮里綾羽著)が昨年11月に刊行された。本書の帯には、「那覇『宮里小書店』の副支店長が綴ったカウンター越しのエッセイ」、「二度見してしまう風景、うたた寝する市場、何度も読み返す本。世界はこんなにも愛おしい」とある。
栄町市場は、戦後の復興期に誕生した市場で、戦前は「ひめゆり学徒隊」の母校である沖縄県立第一高等女子学校と沖縄県師範学校女子部があったが、空爆で瓦礫となり、戦後地域が再び栄えますようにとの想いを込めたものだそうだ。壁のないお隣の店が、ベビー服と肌着を主に扱う金城さんのお店で、ともに店番をしながらゆったり流れる時間の素晴らしさが文字からも浮かび上がってくる。栄町市場で、なりわいをし、日々を暮らす人々の様子が生き生きと描かれる。仲村氏が、その脳裏に浮かべ希求する、「消えゆく」沖縄の風景、とは本来こういうものなのだろう。それは、依然として、新城氏がいうように沖縄の庶民の、普段の生活の中に生きているではないか。そこに大いなる希望もある。
経済官庁 AK