自制という厄介な問題にみな悩んでいる
■『自滅する選択』(池田新介著、東洋経済新報社)
2017年度のノーベル経済学賞は、リチャード・セイラー(シカゴ大学)に贈られた。受賞理由には「行動経済学への貢献に対して」とあり、わが国でも雑誌での特集などが組まれている。行動経済学に関心を持たれた読者のためには、すでにセイラーの手になる『実践行動経済学』や『行動経済学の逆襲』の邦訳などが出ており、すでに手に取ってみた方もおられるに違いない。
『自滅する選択』(2012年)は、本邦の第一人者によって一般向けに書かれたもので、行動経済学のなかでも特に時間を隔てた選択に関わる問題を集中的に取り上げている。本書では、日本で取ったアンケート調査に基づく分析や、サラ金など我が国の環境に基づいた事例を盛り込むことで、読者にとってなじみやすいものとなっている。
双曲割引という「福音」に浴してきたもうひとりの自分
本書での議論の中心には、行動経済学(や心理学)が明らかにしてきた「双曲割引」による時間割引という考えがある。経済学でなじみのある割引とは指数関数による割引であり、将来のキャッシュフローを割引現在価値化する際におなじみのものである。他方、この双曲割引では、手近な未来では急速に割引がおき、遠い未来ではゆっくりとしか割引がおきない。この双曲割引というモデルは、実験の結果から妥当性が高いことが知られ、人間以外の動物(ハトやネズミ)でも当てはまることから、かなり強固な生物学的基礎が存在することが推察されている。食物が不足している野生の状態では、目の前の食物をためておくのではなく、すぐに食べてしまった方が生き残りに有利だと思われる。双曲割引は進化を通じて我々に深く刻み込まれたものであるともいわれる。双曲割引は生物としての我々にいわば「福音」をもたらしてきた存在なのである。
しかしながら、我々文明社会で人間は長期の計画たてることで、より高い達成を目指すことに取り組んできた。投資とは現在の消費を断念し、将来の果実を目指す取り組みである。他方、この双曲割引が示唆することは、遠い未来のことと思えば意欲的な計画にコミットすることができるが、いよいよ締め切りが近くなると、そのコミットメントを翻すという現象が起きることである。遠い未来と近い未来の時間の経過の間に、コミットした本人そのものがまるで別の人間に変身(Metamorphose)してしまうかのようである。どうしても計画を達成したいのなら、自制という厄介な問題とうまく付き合う必要がある。
もうひとりの自分とどう付き合うか
締め切り近くなって計画を放棄した、という苦い経験を持つ読者は少なくないのではないか。社会規模でみても、プライマリー・バランスの達成の年限は、10年代初頭とされていたのが、20年度になり、またまた先送りされるとも聞く。成長戦略でも意欲的目標を立てたのはよいが、その実現の度合いは必ずしも満足のいくものではないという報道も目にする。もちろん、最近の成長戦略ではKPIs(Key Performance Indicators)による進捗管理という手法が導入されているから、中間段階で実現の度合いを測ることができること自体、昔日に比べて進歩していないわけではない。ただ、総じて進捗が遅いとされていることをどう評価するかというのは、別途考えるべき問題である。期限が近付くと、リーマン・ショックという格好の口実が天から降ってくることもあれば、デフレ、プライマリー・バランスという指標の正当性への疑問など、様々な言い訳が社会規模で繰り出される。本当に無理な計画であれば見直すほかないが、繰り返し起こる現象の背後になにかあるのではないか、冷静に考えることも重要ではないか。
もちろん、個人単位の双曲割引と社会規模の現象を結びつけるためには、もう少し細かい議論が必要であろう。社会は多様な個人や下位の組織からなる複合体である。社会規模の現象の場合には、役人や政権の任期という問題を念頭におく必要があるだろう。財政などの大がかりな問題の場合、双曲的なのは政府だけではなく、むしろ国民であるのかもしれない。しかしながら、国民からみれば、プライマリー・バランスの黒字化にコミットしていたのは、あくまで政府であって、自分たちではないと感じていても不思議ではない。
行動経済学では、このような問題に対処するため、様々なcommitment devicesが提案されている。老後の家計設計など自身の個人的な事柄、あるいは社会規模のコミットメントの問題に立ち向かうためにはどうすればよいのか思案しながら本書を読めば、自分のなかの他者、ながらく「福音」に浴して数億年もの間生き延びてきた生きものとしての自分という存在を強く意識するようになるだろう。
経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion