由紀さおり、「私、攻めてるの」
「歌うたい」の新たな挑戦
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
初めてその曲を耳にした時、おもわず背筋が伸びた。それから身震いをした。何度目かに聞いた時には涙が出そうになった。刀を真っすぐにこちらに向けて構えている。正眼の構えをする剣士のようだったのだ。この人がこういう歌をうたうのか、と思った。
曲自体は音楽ファンならよく知っているものだ。井上陽水の「人生が二度あれば」。1972年発売のデビューシングルである。父親と母親の人生を歌った、かなりシリアスな曲だ。その後の彼の曲の中でも最も重い曲になるかもしれない。
歌いこなすのは難関
歌っていたのは由紀さおり。柔和な笑顔とふくよかな美声。まもなく歌手生活50年になろうとしている大ベテランである。じっくりと腰を据えて一言一言を噛みしめながら語り掛けるように歌う。こみ上げる感情を押さえつつ、情緒過剰にならないようにギリギリの節度を保ちつつ、張り裂けそうな思いが伝わってくる。大ヒットした「夜明けのスキャット」や「手紙」などで聴いていたのとは明らかに違う由紀さおりだった。
11月29日に由紀さおりのアルバム「歌うたいのバラッド~由紀さおりシンガーソングライターを歌う~」が出た。彼女がシンガーソングライターの書いた曲を歌うというアルバムである。
由紀さおりには、73年に吉田拓郎の書いた「ルームライト(室内灯)」もある。76年のシングル「つかの間の雨」は伊勢正三が書いている。中島みゆきが自分でカバーしている「帰省」は、由紀さおり、安田祥子姉妹に提供されたものだ。それらの曲を軸に、吉田拓郎、松任谷由実、さだまさし、松山千春、斉藤和義らの曲を歌ったアルバムだった。「人生が二度あれば」は、その最後に収められている。
「歌うたい」と「シンガーソングライター」とはその成り立ちがかなり違う。「シンガーソングライター」は、自分の言葉を自分のメロデイで歌う人のことだ。自分で歌うのだから音楽の方程式や定石にとらわれない自由な作り方をしている。他の人が歌うことは前提になっていないために歌いこなすのは難関という曲も少なくない。
彼らが自分以外の歌い手に提供した曲はその逆で、自分では歌えない曲調や歌わないテーマだったりする。アルバム「歌うたいのバラッド~由紀さおりシンガーソングライターを歌う~」は、そうした曲を、生涯歌うたいである彼女がどう歌うか、というアルバムだった。
タイトルになっている「歌うたいのバラッド」は、97年の斉藤和義のシングルである。今でこそ、男女を問わずカバーするアーティストが絶えない名曲になっているものの、当時はヒットチャートにも入らない知られざる曲だった。もし、2007年にMr.Childrenの桜井和寿と音楽プロデューサーの小林武史が組んだバンド、Bank Bandがカバーしなかったら、ここまでの曲になっていなかったかもしれない。
斉藤和義は、以前、筆者のインタビューに「好きなギターにばっかり夢中になって歌がおろそかになっている気がして、自分を戒めようと思って作った」と話していた。
「なぜ私がこの曲を歌うの」
由紀さおりは、「人生が二度あれば」を歌う時に、「なぜ私がこの曲を歌うの」と言ったのだそうだ。それまでのレパートリーと違うという認識は彼女が誰よりも強かったのだろう。アルバムの中には、そこまでではないにしろ、彼女のイメージにはなかった曲が並んでいる。
例えば松山千春の「季節の中で」もそうだろう。ハイトーンの直線的な歌は、柔らかさが魅力だった彼女とは対極な作風ということになる。松任谷由実が荒井由実時代にバンバンに提供した「いちご白書をもう一度」もそうだ。学生運動はもちろんのこと、大学生が長髪だった75年、彼女は同世代でありつつすでにレコード大賞の歌唱賞などを総なめにする大スターだった。シンガーソングライターの多くがそういう青春を過ごしてきている。
彼女は、その頃の記憶をたどり、かみしめるように淡々と歌っている。それは歌を通して自分では経験しなかったあの時代と対話しているようにも聞こえる。
「最近の彼女の口癖は『私、攻めてるの』なんですよ」とレコード会社のスタッフは言った。自分では選ばない曲を歌うことで新しい何かをつかんだ。それがどういうものであるかは「人生が二度あれば」が象徴している。
この歌をこんな風に歌える人がいるだろうか。そう思わせるのが「歌うたいの証明」だとしたら、このアルバムはまさにそんな一枚になったと思う。彼女の「今の若い人の音楽は言葉がおろそかになってないかしら」という言葉は、アルバムを聞く事で納得できるはずだ。
今年デビュー48周年、それ以前の童謡歌手時代を入れれば約60年。生涯「歌うたい」の新しい試みは、まだ続きそうだ。
(タケ)