50歳を過ぎて、頭がよくなるための方法

   ■「五十歳からの勉強法」(和田秀樹著、ディスカヴァー携書)


   たまには、仕事と無関係な軽めの本を取り上げたい。「50歳からの勉強」についてである。

   評者も、齢50を超えて以降、記憶力の衰えが加速している。新しい言葉がなかなか覚えられないことは無論のこと、眼前の知り合いの名前が出てこないこともある。とても、若い人に記憶力はかなわない。

   加えて、パソコンやスマホで検索すれば、大抵のことは、即座に調べることができる便利な世となった。最近ではAIが急速に実用化されつつあり、人間の労働に取って代わろうとしている。このような状況で、50代のオヤジが新たに知識を詰め込んだところで、世の役に立ちそうにない。

   本書は、「今さら勉強なんて」という世代を対象に書かれた、今後の生き方にプラスになる勉強法を伝授するものだ。著者自身が実践する、知識のインプットを中心とする40代までの勉強とは異なる、学びのスタイルを教えてくれる。

   難しい話は、一切無い。中高年にとっての勉強には、ゴールがない。億劫がらずに、積極的な姿勢で、戦略的に学ぶべしというシンプルな結論だ。

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50代の脅威は、意欲の減退――変化を恐れない、前頭葉を使う生活への転換がカギ――

   うれしい話だが、50代になっても、知能は下がらないという。

   問題なのは、頭を使ったり、身体を動かしたりすることが「億劫」になること。前頭葉の萎縮と男性ホルモンの分泌量の低下により、「意欲」が減退し始めることが最大の課題だという。

   加えて、「動機」が無くなることも、意欲減退に拍車をかけるのだそうだ。

「(50代になると)いまの仕事や社会的地位にそれなりに満足している場合はもちろん、まあ、こんなものだろう、と、半ばあきらめている人の場合も、いまさら何を目指したところで、といった心境になりがちだ。まずは、出世したら、お金持ちになったら、人生変わるかもしれない、というのが、必ずしもそうではないらしい、ということも悟りつつある」

   確かに思い当たる節がある。

   50歳からの勉強とは、まず、自分で目標を設定し、自分で動機づけをしていくことが必要だという。そして、意欲の減退を防ぐために、前頭葉を使う生活への転換を図る。具体的には、ルーティンからの脱却、前例や経験則、ルールに従っているだけの生活を改めること。変化を恐れず、「想定外」のことが起こる状況を積極的に受け入れることが役に立つ。

   評者自身、日々、様々な想定外の事件が起こる霞が関での仕事は、前頭葉を使う生活にもつながっているかなと思う。他方、「仕事以外は?」と問われると、答えに窮する自身の状況を鑑みると、リタイア後は実に不安である。

   同時に、前頭葉の萎縮や男性ホルモンの分泌量の低下は、EQ(自己や他人の感情を知覚し、自分の感情をコントロールする能力)の低下を招き、切れやすくなったり、人間関係が億劫になったりするという。

   仕事だけでなく、その先の人生を、他者とつながり、居心地よく暮らしていくためにも、怒りのコントロールと他者への共感を、学び、実践し続けることが必要なのだ。

知識のインプットより、アウトプット――発信することで、より深く学ぶ――

   「50歳からの記憶法」として、大切なのは次の3つだという。

(1)関心:関心がなければ、覚える気にならない。意欲が落ちる50代以降にとっては、何よりも関心が大事。
(2)使って復習:覚えたことをできるだけ日常会話の中で「使う」こと。アウトプットしていくことで、記憶に定着させていく
(3)覚えるよりも意味を理解:覚えたいことの「意味」を理解し、それにまつわるエピソードや関連知識も調べてみること(エピソード記憶化)。そして、それを誰かに話したり、ネット上で原稿にまとめてみたりすること(2の実践)。

   著者曰く、アウトプットの機会を持つことは、50歳からの記憶法として効果的なだけでなく、そもそも記憶しようとする目標となり、一石二鳥だと説く。目標を持つことで、関心の幅が広がり、覚えたいことの理解が深まるという。これまでに600冊以上もの著作のある著者の言葉だけに説得力がある。評者にとっても、この書評を書くこと自体が、本書を自らの記憶に留めるためにも、また、理解を深めるためにも有効な方法、というわけだ。

   加えて、アウトプットの効用は、何よりも、思いもかけない新たな人間関係につながることだという。発信することで、他者からの反応があり、知り合いが増え、居場所ができる。定年後の人生を模索する者にとって、これ以上の報酬はないだろう。

一つの答えではなく、多様な答えがあることを知る

   単純な記憶力や情報処理速度といった能力は若い人にはかなわない。けれど、年齢によってほとんど変動のない、あるいは年齢とともに上昇する知性があるという(認知的成熟度)。簡単にいえば、白と黒の間にグレーをいくつ認められるかという能力、言い換えれば、一つの問に対して、答えを一つに決めつけず、いくつかの答えを考えつくことができる力だそうだ。

   しかし、困ったことに、50歳を過ぎると、この認知的成熟度が退行しがちだという。次第に、白黒をはっきりさせないと気が済まなくなってくる(決めつけ思考)、自分の経験則から離れられなくなるのだそうだ。前頭葉の老化に伴って生じる思考の老化だという。

   社会人生活が30年を超えた評者自身を振り返っても、つい、あの時はこうだったという昔の経験から、安易に現在の対処を考えようとしてしまうことがある。

   著者は、こうした「決めつけ」から脱却するために、「自分の意見とは異なる意見に耳を傾ける」ことを強調する。異なる意見の人と積極的に会ったり、あえて自分とは反対の意見を述べたりしている人の本を読むべきというのだ。

「自分は右寄りだと思う人は、『世界』を読む。左寄りだと思っている人は『正論』を読む。いずれの人も、読むうちに腹が立ってくるだろうが、少なくとも、発想の幅は広がるはずだ」

   「かくあるべし思考」を改め、「別の道もある」、「道はいくつもある」を理解する。そのために、50代にも勉強が必要だ。

   著者曰く、「大人の勉強法というのは、ひとつの真理や真相を追究して、ひとつの答えにたどりつくことでなく、いろいろな説があること、いろいろな可能性があることを知るためにするものだ」

   50代からの勉強とは、答えを得るためではなく、多様な答えがあることを知るためのものなのだ。

   問題は、日々、実践できるかどうかである。

JOJO(厚生労働省)

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