映画「永遠のジャンゴ」、熱心なジャズファンも知らなかった秘話を明かす
欧州を拠点に大活躍した伝説の名ジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト(1910~53)。彼を主人公にしたフランス映画「永遠のジャンゴ」が2017年11月25日から公開されている。今年2月のベルリン映画祭のオープニングで上映された作品だ。
まさに「知られざる物語」
演奏の出だし部分を、ほんの少し聴いただけですぐに彼だとわかる。ジャンゴはきわめて個性的な音を響かせるギタリストとしてジャズ音楽史上で有名だ。理由は二つ。彼がロマ(ジプシー)出身だということ、そしてもうひとつ、若いころに火傷して左の薬指と小指がほとんど使えなくなり、独特の指運びを考案していたことによる。
このあたりの話は、ジャンゴの熱心なファンなら知っていると思われる。だが、この映画には驚かされるだろう。なんとジャンゴが、ナチスドイツに迫害され、怒りを燃やし、抵抗していたというのだ。日本版ウィキペディアのジャンゴのくだりを見ても、そんな記載はない。まさに「知られざる物語」なのだ。
1943年、ジャンゴはナチスドイツ支配下のパリにとどまり、演奏活動を続けていた。自分はフランス人ではなくロマだし、人気ミュージシャンだから戦争には無関係と思いこんでいた。ところが、ナチスには優生思想があった。ロマを劣性民族とみなし、すでにドイツ本国などで着々と「粛清」を進めていたのだ。
ある日、パリのジャンゴもナチスに呼び出される。下着姿にされ身体測定。写真も撮られた。耳のサイズ、頭の大きさ、歯並びなどが綿密に測定される。そのデータから間違いなくロマだと認定され、ナチのファイルにしっかり登録されてしまった。
ジャンゴは身の危険が迫ったことを知り、レジスタンスの手引きでパリから逃げ出す。スイス国境に近いフランス南部のロマ居住地に潜むが、そこでナチスに見つかり、反ナチの活動もばれて・・・。
追悼のレクイエムも作曲していた
哀愁に満ちたメロディラインを、緩急自在に奏でる超人的なテクニシャン――ジャンゴは同世代や後世の米国のジャズミュージシャンに多大な影響を与えた。モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の「ジャンゴ」(1954年)など、トリビュート曲は少なくない。映画では全編に彼の再現演奏が流れ、ジャンゴ役の俳優は、本物そっくりの素早い指の動きを見せる。おそらく相当練習したはずだ。それとも特撮なのか。いずれにしろたいしたものだと、変なところで感心してしまう。
映画は、ナチスからの逃避行の途中で、ジャンゴが、犠牲になったロマを追悼するレクイエムを作曲していたことも明かす。これも新事実だ。ナチスドイツが敗北し、撤退した後に、ジャンゴはその曲をパリで発表したそうだ。映画でもエンディングの場面でオーケストラとコーラスによる演奏風景が流れ、客席のロマや、共にナチスと闘ったレジスタンスの仲間が涙を流す。残念ながら現在は楽譜の一部分しか残っていないという。
仲間に見えて、本当の仲間ではない
映画の中で一瞬、「おやっ」と思ったシーンがあった。ナチ支配下のフランスから中立国のスイスに誰を先に逃がすかでもめていたときのことだ。フランス人のレジスタンスグループは、負傷した連合軍兵士を優先させようとする。ジャンゴはロマの仲間たちも連れて行ってくれと頼む。なかなか認めてもらえない。そのときジャンゴが確か、レジスタンスのメンバーを見ながら、「よそ者!」と吐き捨てるように呟いた気がする。
負傷兵を逃走させるには、陽動作戦が必要だった。ナチス幹部が集まるパーティの会場でジャンゴが演奏し、彼らを足止めにして油断させる。そのスキに連合軍兵士を逃がすという作戦だ。
ところがロマの仲間の脱出までは、約束できないとレジスタンスメンバーは言う。結局、連合軍のために自分は使われるだけか、一緒に抵抗運動をしているように見えても、しょせんあいつらとは本当の仲間じゃない、そんな思いがこもっていたような気がした。
ナチスドイツに関する映画は、今年も多い。主人公はたいがいドイツ人、ユダヤ人、レジスタンスのフランス人などだ。ナチスによる迫害で、数十万人のロマも犠牲になったそうだが、悲しいかな流浪の少数民族。いつも「よそ者」、脇役か忘れ去られた存在だ。
映画のタイトルに「永遠の」という形容句が付いている。それはジャンゴが、ジャズ史のなかで不滅であると同時に、この映画を通して、ナチスによるロマの犠牲の記憶を永遠にとどめたということを意味しているのだろう――そんなふうに感じた。
■永遠のジャンゴ
■配給:ブロードメディア・スタジオ
■2017年11月25日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開