鈴木雅之、シンガーではない
ヴォーカリストとしての熟成
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
「SINGER」と「VOCALIST」の違いについて考えたことがあるだろうか。
日本語に訳すと両方とも「歌う人」「声楽家」「歌手」ということになるのかもしれない。広く「歌うこと」を職業にしている人のことである。
でも、そこには微妙なニュアンスの違いもある。自らを「VOCALIST」と称する鈴木雅之は常々こう言っている。
「シンガーは一つのジャンルの歌を極める人、ヴォーカリストというのはあらゆるジャンルの歌を歌いこなし、自分の色に染めあげる人」。
海苔漁の祖父の船で歌った三橋美智也の歌
鈴木雅之は1980年にシャネルズでデビュー、2015年にはデビュー35周年を記念してシャネルズやラッツ&スター時代の曲も網羅した初めてのオールタイム「ALL TIME BEST~Martini Dictionary」、去年は自身のソロ活動30周年と還暦に合わせたオリジナルアルバム「dolce」を発売と毎年精力的な活動を展開してきた。その中で自分の活動について話していたのが「SINGER」と「VOCALIST」の違いだった。事実、「dolce」は、松任谷由実、玉置浩二、岡村靖幸、久保田麻琴、KREVA、谷村新司、横山剣、アンジェラアキら、スタイルの違うシンガーソングライターの曲を歌いこなしレコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞した。
そんな区切りの数年を超えて60代になった今年、彼が発売したのがカバーアルバム「DISCOVER JAPAN III」だった。2011年に一作目が発売された時、その動機について「震災を機にもう一度日本の歌を見つめなおしてみようと思った」と発言していた。
「日本の歌再発見」として始まったシリーズは2014年に「II」が出た。内容はより「ルーツ的個人史」的な焦点に絞られたものなっていた。
意外だったのは、大瀧詠一や柳ジョージ、桑名正博らの曲に交じって三橋美智也の「星屑の街」が入っていたことだった。彼は、アルバムのインタビューの時に「祖父が海苔を取る船を持っていて、自分はその船の舳先で三橋美智也の歌を歌っていた。まあちゃん上手いねと言ってもらって、それが他人に歌を褒められた最初の体験」と語っていた。目下進行中のツアーのパンフレットにも「思えば海苔漁に出る祖父の船に乗せてもらい歌を歌うことが楽しくてしょうがなかった少年時代。それがヴォーカリストとしての原点でした」と書いている。
鈴木雅之は1956年9月22日、東京の大森の生まれ。実家が町工場だったことは広く知られている。でも、祖父の話はこれまであまり紹介されていないように思えた。彼が子供の頃大森では海苔漁が行われていた。江戸前の海苔である。今も大森には「海苔のふるさと館」という博物館もある。そんなエピソードが縁で彼は、今年大森の「海苔親善大使」を任命され、ツアーのステージでも海苔の話をしていた。
「DISCOVER JAPAN III」は完結編
今年発売された「DISCOVER JAPAN III」は、その完結編。個人史でありながら時代を少し広げている。古くは昭和22年に発表された、J-POPの父、服部良一作曲、霧島昇が歌った「胸の振り子」から60年代、坂本九「涙くんさよなら」、70年代、RCサクセションの「スローバラード」やチューリップの「青春の影」、80年代、森進一が歌った大滝詠一作曲、「冬のリビエラ」、90年代、井上陽水「少年時代」やちあきなおみ最後のシングル「紅い花」、小沢健二の「ラブリー」と幅広い。自分の原点、先輩、同志、後輩と世代を超えた思い入れのある曲を自分の色に染め上げている。
彼がソロデビューしたのが86年。デビュー曲の「ガラス越しに消えた夏」は、シンガーソングライター、大沢誉志幸の作品だった。その後もプロデューサーに山下達郎や小田和正を迎えるなど、シャネルズ・ラッツ&スター時代とは違う音楽の幅を広げていった。それも思い付きではなく、小田和正はオフコースでデビューした時にシングル盤を買いに行った、という出会いがあり、山下達郎は中古盤屋で顔を合わせるオールデイズマニア同士、更に、鈴木雅之はシャネルズでデビューする前にやはり山下達郎の師である大瀧詠一のアルバムに参加している。いずれもそんな音楽的体験にもとずいた人選だったことに気づかされたのは、かなり時間が経ってからだ。彼の日本のポップミュージックや大衆音楽へのこだわりが結集したのが、「DISCOVER JAPAN」シリーズだった。
先日、11月12日、中野サンプラザでツアー「DISCOVER JAPAN III」を見た。
アルバム「DISCOVER JAPAN III」を軸にして自らのキャリアを網羅し、更にアルバムに収録されていない曲も披露する。意外な曲も交えつつじっくりと聴かせる構成とイメージとはかなり違う饒舌なトーク、ファンサービスを怠らないエンターテイナーぶりを発揮、ザ・ヴォーカリストの熟成されたキャリアならではの濃密なステージを展開していた。
ソウルミュージックと歌謡曲、洋楽と邦楽、流行と庶民生活。いつの時代も洋楽的な要素を取り込みつつ日本の音楽として消化してきたのが日本のポップミュージックの歴史だった。「DISCOVER JAPAN」シリーズは、鈴木雅之がその申し子であることを再認識させてくれたのだった。
(タケ)