J-POPが歌ってきた「ワークソング」 泉谷しげる、浜田省吾、忌野清志郎、ももいろクローバーZ...
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
欧米のポップミュージックと日本との一番の違いは歌の社会性と言って良いのではないだろうか。特にロックに関してはその傾向が顕著ではないだろうか。言葉の壁があるにせよ、ジョン・レノンやボブ・デイランのように日本で神格化されているアーティストですら何をテーマにどんなことを歌ってきているのか、さほど重要性を持っていないようにも見える。
そうしたいくつかのテーマの中に「労働」という概念があるように見える。つまり仕事である。学生でない限り、誰もが一日の大半の時間を費やしている行為。時には本人の意思と違って不本意ながら仕方なくという例もあるだろう。アメリカン・ミュージックのルーツの一つでもあるブルースがワークソングから始まった。ジョン・レノンには「労働化階級の英雄」という歌もある。ブルース・スプリングスティーンはアメリカのブルーカラーのシンボル的存在だろう。日本のポップ・ミュージックの中にそうした歌がどのくらいあるだろう、そういうことを歌っているアーティストがどのくらいいるだろう。
それを形にしたのが、「大人のJ-POPカレンダー」の11月だ。
斉藤和義「おつかれさまの国」から
レコード会社五社共同企画「大人のJ-POPカレンダー」は、1月から12月まで日本の季節に沿った曲をカレンダーのように集めたコンピレーションアルバムである。2015年にFM TOKYOが行った「戦後70年の700曲」キャンペーンを元にして誕生した。それぞれ二枚組の12セット。一年365日+一日の366曲。それぞれの月によってテーマが決められている。「家族」と題された11月が「ワークソング」「家族の歌」という二枚組である。11月には「勤労感謝の日」「いい夫婦の日」があるからなのは言うまでもない。
J-POPの中で「労働」はどんな風に歌われてきたのか。
収録されているのは全16曲。一曲目は斉藤和義の2008年の「おつかれさまの国」だ。英語に訳すのが難しいという「お疲れ様」という日本独特な挨拶をテーマにした歌。それに続くのが61年のクレージーキャッツの「ドント節」である。「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」という有名な言葉で始まっている。今、そんな風に思って仕事をしているサラリーマンはいないだろうし、そんな気分で就活している学生もいないに違いない。高度成長期の日本の牧歌性が象徴されている。3曲目のユニコーンの「ヒゲとボイン」は、女好きの社長に自分の彼女を取られそうになっているサラリーマンの歌だ。女を取るか出世を取るか。ユニコーンならではのユーモアとペーソス溢れるオフィスソングだろう。そんな前半の流れは、2009年のファンキーモンキーベイビーズの「ヒーロー」に続いていく。朝早く家を出て夜遅く帰ってくる。満員電車に揺られるお父さんを「ヒーロー」と呼ぶ21世紀の「ワークソング」に涙した若いお父さんも多いはずだ。
全16曲。時代は70年代、60年代へと遡ってゆく。5曲目は「みんな貧乏が悪い」と歌う岡林信康の「チューリップのアップリケ」である。貧富の差や社会的不公正を歌のテーマに取り上げるようになったのが60年代から70年代のフォークソングだった。6曲目は高田渡の72年の「鉱夫の祈り」だ。高度成長を支えた炭鉱夫を歌った歌。高田渡は子供の頃に極貧生活を経験している。今、「黒いダイア」という言葉の意味すら知らない人が多いのではないだろうか。そんな「ワークソング」の走りが7曲目、66年に美輪明宏が歌った「ヨイトマケの唄」だった。「お父ちゃんのためならエンヤコラ」「お母ちゃんのためならエンヤコラ」という道路工事の際の掛け声が歌になった。このアルバムでは泉谷しげるの歌が収録されている。長い間放送自粛曲と思われていたこの曲に光を当てたのが彼だった。8曲目にはやはり65年に山田太郎が歌ってヒットした「新聞少年」が入っている。新聞配達の少年は中学生の時の僕らのクラスにもいた。
谷山浩子「終電座」で終わる
アルバムのトーンが変わってゆくのは9曲目の「煙突がある街」からだ。歌っているのはザ・クロマニヨンズの真島昌利。92年の歌である。スモッグを吐き出す煙突のある街で暮らす若者は組合活動に従事しストライキで前歯を失った。しかも、その時のことが口実で訴えられて「暴発寸前」。この歌をMr.Childrenの桜井和寿と音楽プロデューサーの小林武史が彼らのバンド、Bank Bandが取り上げたことで知った人も多いはずだ。10曲目のARBの「ファクトリー」は、経営者と労働組合に分かれて戦った父と息子がテーマという稀有なストーリーソング。まさに「ワークソング」的ロックの代表だろう。
息詰まるような流れを変えるのは11曲目、玉置浩二の「田園」。96年のシングル。どんなことがあっても「生きてゆくんだ」という不変のメッセージ。12曲目、奥田民生がユニコーンを解散して最初に発売した94年のシングル「愛のために」は「働くオッサン」への「道草のすすめ」だ。気持ちを解放してくれる8ビートのピークになっているのが13曲目、浜田省吾の「I am a father」である。「家族のため」「妻との一日を無事に過ごせることを祈っている」「ムービースターでも」「ロックスター」でもない父親へのエールはライブでも大合唱になる。仕事や会社、あるいは、国家や戦争。日本のポップミュージックが避けてきたテーマを取り上げて良質なエンターテインメントとして確立してきたオリジネーターが浜田省吾ともう一人、忌野清志郎だろう。14曲目に入っている彼の「パパの歌」は「働くパパ」を子供目線で歌っている。91年のシングルだった。
日本のポップミュージックは「労働」をどんな風に歌ってきたのか。アンコールの一曲目のように聞こえるのは15曲目「労働讃歌」。歌っているのはももいろクローバーZである。女性アイドルが「労働」を歌う。作詞は筋肉少女隊の大槻ケンジ。2011年の勤労感謝の日に発売されたこの曲はアイドル新時代を実感させた曲でもある。
最後を締めくくっているのは16曲目、谷山浩子の2007年の「終電座」。その年のアルバム「フィンランドはどこですか」の中の曲を知っている人は彼女のファンだけだろう。日本に来た外人がまず驚くという満員電車。酔客で殺伐とした車内の光景を彼女は宮沢賢治の「銀河鉄道」のように歌っている。
「おつかれさまの国」で始まり「終電座」で終わる「ワークソング」16曲で見えてくるもの。それは60年代以降の日本の「勤労感謝の現実」なのではないだろうか。
(タケ)