ドビュッシーの謎多き「月光の降りそそぐ謁見のテラス」は前奏曲集を締めくくる傑作

   旧暦8月15日の十五夜が、「中秋の名月」です。現代の新暦に直すと今年2017年は10月4日、ということになりますが、満月ではありません。旧暦は新月から日付をカウントし始めるのですが、月の公転軌道は少し楕円になっているので必ずしも新月から満月までが15日とは限らず、直近の満月は実は10月6日です。中秋の名月は満月ではない、というところに、うるう年などと同じ、人間が作った暦と実際の自然界の現象の関係の複雑さを見る気がします。

   クラシック音楽における月光、というと、二大巨頭、すなわち有名曲はベートーヴェンの「月光ソナタ」と、ドビュッシーの「月の光」ですが、今日は、あまり知られていない、月が登場する曲を取り上げます。

曲は神秘的な響きで始まる
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死の5年前の作品

   ドビュッシーは「月の光」という言葉が題名に含まれている曲を少なくとも3曲残しています。1番有名なのが、ピアノ曲であるベルガマスク組曲の3曲目、「月の光」ですが、この曲を書く契機になったと思われるヴェルレーヌの詩につけた歌曲、歌曲集「艶なる宴」の中にも「月の光」という別の曲が存在します。いずれも、イタリアの古いルネサンス時代の宮廷生活へのオマージュなどが感じられる曲となっています。

   ドビュッシーには、ピアノ曲に、もう一つ月の光が登場する曲があります。「ベルガマスク組曲」は作曲が1890年、ドビュッシーがまだ20代のころの作品ですが、今日取り上げる曲が含まれる「前奏曲集 第2巻」は1913年の完成、ドビュッシーは50代の円熟期・・・死の5年前の作品です。

   「前奏曲集 第2巻」は、全12曲からなる曲集ですが、その7曲目が「月光の降りそそぐ謁見のテラス」という題名の曲なのです。前にもこの連載では、最終12曲目の「花火」を取り上げたことがありますが、最後の曲で、花火を描写していて、技巧的に華やか、かつフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」まで練りこまれている派手な「花火」に比べて、「月光の降りそそぐ謁見のテラス」は、大変地味な曲です。

   しかし、この曲は、まぎれもなき近代フランス音楽の改革者にして、クラシック音楽の新しい扉を開けたドビュッシーの実力がいかんなく発揮された傑作なのです。若いころの「月の光」のようにわかりやすい音楽ではありませんが、聴けば聴くほど、その複雑な響きに魅了されます。

最後にとっておいた思い入れの強い1曲

   当然、ドビュッシーは、若き時代の「月の光」を意識したかもしれませんが、あちらが、ヴェルレーヌの詩や、実際に訪れたイタリア・ベルガモ地方の風景描写という雰囲気を持つのに対し、この曲は、月の光だけでなく、その下で謁見が行われているテラスという言葉が題名に入っているので、さらに描きたいことがあるように思われます。それは何だったのでしょうか・・?

   実は、その内容、または、ドビュッシーのインスピレーションの源泉は、全く解明されていませんし、本人も言い残していません。年代的に考えて、イギリス王ジョージ五世が、インド皇帝に就任した戴冠式典の様子を伝えたジャーナリストの新聞記事が、ドビュッシーにこの曲を書かせる契機となった、という推測がされていますが、フランス人であるドビュッシーにとって、どうも動機が弱いような気がします。

   しかし、この曲は、「前奏曲集第2巻」の最後に書かれた曲であることは伝わっています。最終曲の「花火」ではなく、第7曲のこの曲を最後に完成させて、「前奏曲集 第2巻」を脱稿したのです。

   最後にとって置くぐらいドビュッシーは思い入れを持ってこの曲を書いたようですし、彼にしか書けない、実に不思議なハーモニー、謎めいた月の光の描写、そのもとで静かに進行する物語・・そういったストーリーを感じさせる曲となっているのです。

ドビュッシーの都市伝説 「秘密の騎士団」総長だった?

   急に話が飛びますが、映画化された小説「ダ・ヴィンチ・コード」で世界中にブームを巻き起こしたダン・ブラウンが底本とした「レンヌ・ル・シャトーの謎」という本によると、イエス・キリストの聖杯を守っている騎士団「プリウレ・ド・シオン」の総長をドビュッシーは務めていた、という記録があるそうです。

   聖杯、とはつまり血脈、イエスは実際には十字架の上で亡くなっていたのではなく、弟子たちに救い出され、パレスチナからフランスへ渡って結婚もして子孫を残していた・・・その子孫とその秘密を守る騎士団なのだ・・・というにわかにも信じがたい一節もあります。つまり、それに沿って解釈すると、ドビュッシーが作曲した「謁見のテラス」の主が、王族などよりも、はるかに重要な人物だったことがうかがえます。

   この話はさすがに荒唐無稽なものとしても、数々の謎めいた秘密が聴こえてくるような、不思議な、しかし、どことなく安心できる世界を、たった4分程度のピアノ独奏という限られた音の中で作り上げてしまうドビュッシーは、やはり特別な作曲家だったということが言えると思います。

   中秋の名月のお月見、ぜひ、「月の光」よりさらに奥深いドビュッシーの「月光の降りそそぐ謁見のテラス」を聴いて、不思議な世界に遊んでみませんか?

本田聖嗣

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