桑田佳祐、この男、どスケベにつき!
最新作「がらくた」は生身の等身大
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
アルバムのタイトルから連想するものは何だろうか。
「がらくた」である。
不用品、あっても使い道のないもの。それでいて捨てがたく溜まるばかりで、家人からは「こんなもの、取っておいてどうするの」という厳しい叱責の対象になってしまうもの。子供の時ならいざ知らず、そんな品々にいくつになっても妙な愛着を持ってしまうのが男なのかもしれない。2017年8月23日に発売された桑田佳祐の6年半ぶりのソロアルバムには、そんなタイトルがついた。彼は、オフィシャルインタビューでこう言っている。
「力が抜けた状態で、大上段に振りかぶることなく、みんなに親しまれる"小品"を目指したのがこのアルバムなんですよ」
還暦を超えた心境が歌いこまれ
6年半という時間の中には様々な出来事がある。2011年の前作「MUSIC MAN」は、制作中に発覚した初期の食道がんを克服して完成したものだった。2015年のサザンオールスターズの9年半ぶりのアルバム「葡萄」は、ジャンルや時代を超える様々な音楽をバンドという形で表現しようとした渾身のアルバムだった。そして、去年、彼は還暦を迎えた。直後に発売したDVDは「THE ROOTS~偉大なる歌謡曲に感謝~」。彼が、子供の頃から親しんでいたテレビ歌謡、昭和の歌謡曲を歌いなおすという以前からやりたかったという企画。それも還暦という区切りがあってこそだった。
そして、6年半ぶりのソロアルバムが「がらくた」。87年のソロデビューアルバム「Keisuke Kuwata」から30年。まさに身の回りの音楽、自分の中にある音楽、そして、今、思うことの身構えることのない吐露。気心の知れたミュージシャン、スタッフ数名と作り上げた全15曲は、「人間・桑田佳祐」が感じられる等身大のソロアルバムならではとなった。
と書きながら、等身大とは何だろう、と思ったりする。等身大。年齢相応、身の丈に合った歌。当然のことながら何をやっても若い頃とは違ってくる。気持ちは若い頃のままでも体力も衰える。こんなはずじゃなかったと思うことばかりで落ち込んでしまったり、妙に感傷的になってしみじみしたりする。そのくせ若い頃よりも屈折した欲望が芽生えていたりするーー。
アルバムのどの曲にも、そんな還暦を超えた彼の心境が歌いこまれている。
一曲目の「過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)」は、小気味よく爽快なロックンロールだ。若々しいというより身体に馴染んでいる音楽。心底気持ちよく歌っている気分が伝わってくる。英語と日本語が一体になったスピード感溢れる歌詞は独壇場だ。60年代以降のロックを聞いてきた人で、この曲に頬が緩まない人はいないだろう。でも、歌われているのは「過ぎ去った日々」だ。うらぶれて「全盛期(あの日)」振り返る「涙を浮かべたおバカさん」の歌。それが、全編のテーマのように聞こえた。二曲目の「若い広場」が、NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」の主題歌だったことは説明の必要もないだろう。
ビートルズ来日が社会現象になった昭和40年代の日本。前作の「MUSIC MAN」には、入院中にビートルズ来日当時のことを思って書いたという「月光の聖者達(ミスタームーンライト)」もあった。彼が、「振りかぶることなく」作れたのは、そんな2017年の空気も反映していたのかもしれない。
生身を感じさせるアルバム
どの曲にも彼自身がにじみ出ている。「大河の一滴」は、学生時代を思ってのことだろうし、「君への手紙」は、今はこの夜を去ってしまった身近な人にあてたものだろう。「愛のささくれ」は、不埒な欲望に駆られていた頃の自分で「サイテーのワル」は、ネット社会への愚痴のようだ。「百万本の赤い薔薇」が、誰にあてられたものかは、アルバムについているブックレットに明かされている。シングルにもなった「ヨシ子さん」の型破りさは変わることない奔放な遊び心そのものだ。
どれもつぶやきや本音の話し言葉のような曲たちの中には「歌詞から書いた」という曲もある。英語の出てこない歌詞。日本語の美しさを感じるというのもこのアルバムならではだ。ジャズやブルース、洋楽的でありながら和風。「簪」というタイトルは"かんざし"という振り仮名がなければ読めなかった。
等身大、という言葉は、身の丈、というサイズだけを言うのではないのだと思う。温度感。その人の体温が感じられるというのも一つの要素ではないだろうか。
アルバム「がらくた」は、そういう意味でもこれまでのアルバムにはない生身を感じさせる。サザンオールスターズの「葡萄」は、バンドの総力を挙げて作り上げたという高いボルテージに溢れていた。「がらくた」はそうではない。同じ桑田メロデイーであってもどこかさりげない。それこそ身近な距離感と温度感が備わっている。アルバムの最後を飾る「あなたの夢を見ています」や「春まだ遠く」がその代表だろう。時の流れを慈しむようなぬくもりは、年齢なればこそだ。
アルバムの初回盤には、彼が全曲について書いたブックレットがついている。曲解説というより、日々の身辺雑記を綴った気ままなエッセイ。一曲目「過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)」の中には、こんな一節があった。
「だけど、「ウタ」というのは良いよ。 いつの時代にも行けるし、誰にでもなれて、めっちゃイイ女を抱いて棄てて逃げて嘆いて、、(中略)」 「でもそれが、今のアタシのウタでありイノチのアカシなんだ。」
アルバムにはこんなキャッチコピーがついている。
「この男、どスケベにつき!ソロ30年目の衝動」
ソロアルバムだからこそ見せる素顔がここにある。
(タケ)