日韓でカワウソの保存に乗り出す
ある早朝「獺祭」を目撃して歓喜

   2017年8月17日、環境省と琉球大学は長崎県対馬にカワウソが生息していることを発表した。琉球大学がツシマヤマネコの生態調査のために設置した自動撮影装置に一匹のカワウソが映っていたことから発覚した。

   ニホンカワウソの「絶滅宣言」が出たのは2012年8月。今回、対馬で確認されたカワウソが絶滅種のニホンカワウソかどうかは判断できないという。専門家によれば、韓国から流れてきた個体かもしれないというのだ。

手作りのニホンカワウソのフィギュアを持って、嬉しそうに語る熊谷さとしさん。 8月21日(月)夜、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」に緊急生出演した。 https://www.tbsradio.jp/174826
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すでにニホンカワウソが絶滅寸前

   国内で最後にニホンカワウソが確認されたのは、1979年6月。場所は高知県須崎市を流れる新荘川だった。それ以来、姿を消した。

   一方、同じ仲間のユーラシアカワウソが生息する韓国では90年代に入って保護や保全が叫ばれ、徐々に増える。ただ、疫病が広まると一気に減少する可能性があることから、韓国側から日韓で分散飼育する必要があると指摘されていた。

   こうした提言をうけ2017年3月、〈韓国と日本 カワウソのたどった道〉をテーマとする国際シンポジウムが東京で開かれた。長年、韓国でフィールドワークを続けてきた熊谷さとしさん(63)が、公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の助成を受け、東京都動物園協会との共催で日韓のカワウソ研究者や飼育関係者らが交流する場を企画した。熊谷さんは、その胸中をこう語っていた。

「カワウソをはじめ希少動物の保全活動を学びながら、それを実践することは『現存する野生動物を、二度と自分たちのようにはしないで欲しい』という、ニホンカワウソからのメッセージだと思うのです」

   80年代半ば、もともと漫画家志望だった熊谷さんはアニメーションの制作現場を経て、独立。学習漫画で動物を描く仕事が増え、日本の野生動物について勉強していた。ムササビ、タヌキ、キツネ、ノウサギ、カモシカなど日本各地の生息地を訪れ、生態や足跡を観察した。その度、動物図鑑に目撃マークをつけていた。

「ところが最後に残ったのがニホンカワウソ。"おやっ?"と思って調べると、その頃はもう絶滅寸前だったのです」

韓国でカワウソの糞を見て興奮

   その後、「ニホンカワウソ研究会」の内田実さんの講演を聴き、ユーラシアカワウソが韓国に生息していることを知った。その調査に同行したのが1989年だった。

「そこで初めて本物のカワウソの足跡を見た。身を隠せる岩があると、カワウソは糞をしていた。それを見つけたときはもう嬉しくて、感動しましたね」

   姿を目の当たりにしたのは2度目のフィールドワークでのこと。夕方、高台でテントを張る場所を探していると、崖の下に川が流れていた。仲間の一人が「ああ、いるじゃない!」と叫び、慌てて水面に目を凝らすと、カワウソが白波を立てて勢いよく泳いでいる。やがて魚を掴まえて陸に上がると、ペタペタと走り出す姿に胸が熱くなった。

   毎年、韓国を訪れるうち、韓国カワウソ研究センターの韓盛鏞(ハン・ソンヨン)博士と、韓国環境部・国立生物資源館の韓尚勲(ハン・サンフン)博士との交流が始まった。

   当時、韓国ではまだ野生動物を保護しようという意識は低く、「日本を反面教師として韓国のカワウソを守っていきたい」と話す韓尚勲さんの言葉が心に残った。

「何だか知らないうちに引きずられていくというか、自分も背中を押されてしまう。カワウソというのは不思議な動物なんですよ」

   だが、ニホンカワウソには刻々と絶滅の時が迫っていたのである。

「まさか自分が生きている間にニホンカワウソの絶滅に立ち会うとは思わなかった・・・」

   危機に瀕していても、どこかでまだ生息していると信じる思いが熊谷さんにあったからだ。

   しかし2012年8月、環境省はニホンカワウソを絶滅種に指定した。

   ニホンカワウソは水中に生息し、里山で暮らす人間とも棲み分けができていたため、本来は絶滅に追いやられる危惧もなかった。

「ところが、高度経済成長で土地開発が進み、河川の護岸工事によってカワウソが棲む岩場がなくなった。農薬や工場廃水が流れ込む川では水質汚染が深刻になり、エサの資源も減っていく。また漁網がナイロン製に変わり、網に絡まったカワウソは嚙み切って逃げることができず、溺れ死んだのです。さらにいえば人間の心の部分、日本人の野生動物や自然に対する関心の無さや意識の低さも絶滅に追いやった要因でしょう」

日韓カワウソ合同研究会を結成

   一方、ユーラシアカワウソが生息する韓国でも、高度経済成長期に入った80年代は減少傾向にあった。かろうじて保護や保全の動きが進み、韓国カワウソ研究センターが設置された。

   晋陽(ジニャン)湖という広大なダム湖がカワウソの保護区になった。

   熊谷さんが初めて晋陽湖を訪れたとき、早朝に2頭のカワウソが「獺祭」(だっさい)をしている光景に遭遇した。捕まえた魚を食べずに、岸辺に魚を一列に並べていく行動で、いかにも嬉しくて祭りをしているように見えることから「獺祭」と呼ばれている。実際に目の前で見たときは信じられず、写真を撮ることさえ忘れたと苦笑する。

   日本はすでに絶滅の危機に瀕していても、もしも見つかったときのために韓国のノウハウを学びたい。熊谷さんは動物園の飼育関係者らに呼びかけて「カワウソツアー」を実施して

   交流も重ねていく。そこで思い立ったのが「日韓カワウソ合同研究会」の設立だった。

   そのためシンポジウムの開催を考案し、公益財団法人韓昌祐・哲文化財団に助成金を申請した。さらにNHKの動物番組『ダーウィンが来た!』が韓国のカワウソ復活の現状を放映し、大きな反響があった。折しも、東京動物園協会がユーラシアカワウソの飼育に力を入れようとしており、共催も決まる。

   「まさに"今、この時"とカワウソに背中を押されたんです」と、熊谷さんの声は弾む。

   2017年3月、東京で開かれたカワウソ国際シンポジウムには、200名近い人が来場した。多摩動物公園長の福田豊さんは、「動物園の役割のひとつに『種の保存』があります。数多くの野生動物が危機的な状況に晒(さら)されている今、優先的に取り組む課題です」と、保全活動に寄せる思いを述べた。

   韓国環境部の韓尚勲(ハン・サンフン)さんは、カワウソが韓国の河川や海岸で容易に見ることができるようになったけれど、他方で減少している現状を語った。

   また、韓国カワウソ研究センター所長の韓盛鏞(ハン・ソンヨン)さんは「ソウル中心部を流れる漢江(ハンガン)流域で1頭のカワウソがソウル市民によって撮影された」ことを伝えた。

   日韓カワウソシンポジウムが実現することで、「まずは絶滅させてしまったニホンカワウソに謝りたかった」という熊谷さん。その反省を現存する野生動物の保全に活かしていければ――と。そんなメッセージが、次の世代にも少しずつ受け継がれている。

   日韓カワウソ合同研究会のメンバーに、韓国へ留学した学生もいた。ユーラシアカワウソの繁殖に取り組む動物園も増えつつあり、若手の飼育者が育っている。さらには韓国から台湾、東南アジアへとカワウソがつなぐ人の輪も広がろうとしている。

(文・ノンフィクションライター 歌代幸子 写真・フォトグラファー 菊地健志)

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