団塊世代の医療と介護、どうしてゆくか 「社会保障システム」を根本から考える

   ■「ちょっと気になる医療と介護」(権丈善一著、勁草書房)


   

   

   評者自身の経験談で恐縮だが、入省以来、社会保障の仕事に携わって30年余り、一通り、全ての分野を経験してきた。どの分野でも、財源調達に頭を悩ませることは共通しているが、一口に「社会保障」といっても、「年金」のような現金給付の世界と、「医療」や「介護」のようなサービスを伴う現物給付の世界では、違いも感じる。

   前者が、もっぱら「(経済的にみて)損か得か」で語られるのに対し、後者は、損得議論に加えて、常にサービスの担い手や中身をめぐる議論が、大きなウェートを占める。

   政策決定に当たって、審議会などの検討プロセスを経ることが多いが、年金の場合、その傍聴者はメディア関係者など比較的限られているのに対し、医療や介護分野の場合には、会議出席者(委員・役所関係者)の何倍もの業界関係者が、多数傍聴しているのが常であり、場の雰囲気(緊張感!)がずいぶんと違う。

   医療・福祉従事者は、2014年段階で750万人を数え、就業人口の約12%を占める。医療や介護の政策は、被保険者や受給者といった制度の直接的な対象者だけでなく、事業者、そして、そこで働く人々にとって、極めて大きな関心事であるのだ。

   だからこそ、医療や介護の政策決定は、年金とは違った難しさがある。と同時に、巧く表現できないが、何というか、人間くさいダイナミズムといったものを感じるのだ。

   本書は、医療や介護を中心に、団塊の世代がすべて後期高齢者の仲間入りを果たす2025年に向けて、どういう道程を歩んでいこうとしているのかについて、これまでの制度・政策の歩みを踏まえながら、cool head but warm heartで、わかりやすく解説している。

   著者の前著「ちょっと気になる社会保障」は、「年金は積立方式に移行すべき」などといった議論に対する具体的な反論とともに、「社会保障は何のため」、「社会保障は誰のため」といった「社会保障というシステム」の根本についての、わかりやすい入門書であったが、本書は、その続編とでも呼ぶべきものだ。

   この2冊を読めば、馴染みのない用語や複雑な制度を前に、敬遠気味だった社会保障の話が、実はこういうことだったんだと、身近な理解へとつながっていくはずだ。

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最重要課題は、地域ごとに医療と介護の提供体制を変えていくこと

   複数の病気を抱え、しかも完治することが難しい慢性疾患を抱えた高齢者が増える日本において、何よりも、病気を完治させることを主眼に置いた「病院完結型医療」から脱却し、地域で治し、支える「地域完結型医療」に転換することが重要となっている。

   つまり、病気と共存しながら、QOL(Quality of Life)を維持・向上を目指すことが基本であり、そのためには、医療や介護を区別することなく、地域ごとに一体として提供される体制を築いていくことが目標となるのだ。

   医療や介護の改革というと、ややもすると、その持続可能性をどう確保するかに目が向き、保険料や患者負担といった保険制度をどう見直すかに関心が向かいがちだが、著者は、2025年に向けて、都道府県を単位として、その提供体制をどう見直すかが重要だと語る。今、流行りのデータヘルス改革(保険者がデータを基に被保険者の健康を管理する)や介護予防などではなく、地域の実情に応じて、病院の再編(地域医療構想)や地域包括ケアを実現することこそが最重要課題だというのだ。

   しかし、国公立病院が中心の欧米と異なり、非営利とはいえ、医師が出資した民間資本を中心に発展してきた日本の医療提供体制を変えることは容易ならざることだ。この30年間、医療計画による病床コントロールや診療報酬による誘導など、様々な試みが行われてきたが、これまでのところ、目覚ましい成果は上がっていない。

   そこで、今回は、国民健康保険の都道府県単位化など、都道府県の権限強化とともに、「データによる制御」という手法により、これを実現するという。

   全国一律に考えるのではなく、地域ごとに、徹底的に「データ」を示し、当事者たちが集まって協議を繰り返す中で、課題を共有し、病院の再編・統合、在宅医療のネットワーク構築などを進めていくというのだ。これまでうまくいかなかった公的規制による配置や市場原理による誘導ではなく、「データによる制御」によって、「ご当地医療」を実現するという試みだ。

   おそらく、事は簡単には進まないだろう。しかし、民間資本が中心の日本の医療提供体制を変えていくためには、ICTを最大限活用し、データをもって、地域の将来がどうなっていくのかを関係者が皆、冷静になって受け止め、共有し、時間をかけて信頼関係を築きながら、進めていくことが必要だ。地域の医療や介護の資源は、たとえそれが民間資本だとしても、住民には半ば公的なものと認識されている。これらが有機的に連携し、機能していくためには、地域の信頼の上に立ったネットワークが形成されることが不可欠だ。

   医療計画や介護保険事業計画、そして、診療報酬や介護報酬といったあらゆる政策手段を交えつつ、著者が繰り返し語る「競争から協調」を地域ごとに根気強く実現していく、それしかないだろう。

容易ならざる課題は、増税をどう実現するか ―「ポピュリズム」を乗り越える―

   医療や介護の提供体制を変えるという処方箋はできていても、財源をどう確保するかが難題である。これから団塊の世代が、最も医療や介護を必要とする後期高齢期を迎える。毎年、増える費用をどう賄っていくか、頭が痛い。

   特に、我が国の場合、社会保険料の確保は比較的しっかりとできているのに対し、税財源の方は、ほとんどうまくいっていない。

「日本の税というのは情けないほどに財源を調達する力が弱いです」
「消費税を上げるのに、何十年間も政治が七転八倒している姿を見ることができる一方で、リーマン・ショックの時も東日本大震災の年も、年金保険料、医療保険料も、介護保険料も上がっている様子をみれば想像できると思います」

   難しいことはわかっていても、日本政府の債務残高、そして、高齢化に伴う社会保障給付への需要を考えれば、著者は、消費税だけでなく、所得税も、資産課税の増税も必要だと語る。

「昔から僕は、『すべての税目を増税する+α増税』とか『財源は全員野球』と言っているように、もう、消費税にも所得税にも資産課税にも頑張ってもらわなければなりません」

   ただ、赤字国債を発行しながら、社会保障の給付を先行させるという「給付先行型福祉国家」となってしまった日本では、今後、仮に増税ができたとしても、その相当部分を財政再建に回さざるを得ず、こうした増税を国民に理解を得ることは容易ではないと指摘している。

「給付先行型福祉国家でスタートしたら増税分のすべてが社会保障に回らないという制約がある上に、いつもその他様々な状況が重なってしまうもので、そうした現象を紐解いて理解することを国民に求めることはおそらく無理だと思います」

   確かに、長年にわたって続く巨額の赤字国債の発行、そして、二度にわたる消費税引き上げの延期という出来事からすれば、増税は生半可なことで実現できるものではない。それでも本書で著者が述べているように「無い袖を振りつづけたらどんな未来がやってくるのか・・・」を考えれば、私たちは、この課題を決して避けることはできない。

   傷を深くしないためにも、できる限り早く乗り越えていかねばならず、そのための環境整備が求められている。

   本書の「おわりに」で、著者は、昨今のイギリスのBrexitやアメリカ大統領選の結果など、「ポピュリズム」のリスクと指摘される出来事が相次いで起こっている状況を踏まえて、こう語る。

「社会保障制度は中間層の人たちの助け合いの制度であって、それは同時に社会を安定させる重要な政治制度なんです。この制度がどうあるかで、その後の世の中の歴史は大きく変わってしまうんですね。つまり、社会保障は、社会経済の影響を受けて形成されるという、世の中の結果であるという側面ばかりか、世の中のあり方に大きく影響を与える原因でもあるわけです」

   私たちは、cool head but warm heartで、財源問題を含め、社会保障の姿を自ら選び取ってゆかなくてはならないのだ。

JOJO(厚生労働省)

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