無名だったエルガーにヒットをもたらした、編集者の「販売戦略」
暑い日が続いています。今日は、さわやかで印象深いメロディーを持つ小品、イギリスの、エルガーが作曲したヴァイオリンとピアノのための名曲、「愛の挨拶」を取り上げましょう。小さな曲ですが、「威風堂々 第1番」などと並んで、エルガー作品の中では最もよく知られた曲です。
この曲の作曲動機は、題名から想像できる通りです。つまり、エルガーが後に妻となるキャロライン・アリス・ロバーツのために作曲し、婚約の記念として送った作品なのです。
・・・とここまでは大変よく知られた話で、愛を主題とすることの多い音楽の中でも、一際人気のこの曲は、ヴァイオリンとピアノのコンサートでは定番の小品、またはよく取り上げられるアンコールピースとなっていますが、実は、まだまだ真実が隠されています。
身分が違う エルガーの結婚は反対されていた
一つ目は、アリスとの結婚は決して順調に運んだわけではありませんでした。イギリス軍人の家庭にインドで生まれたアリスは、教育環境に恵まれ、ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語など外国語に堪能で、小説も書き、当然のごとく音楽の素養も身に着けるために勉強し、その過程で若き音楽教師エルガーと出会ったのでした。しかし、アリスはエルガーより8歳年上かつ、高い身分のロバーツ家からしてみれば、「どこの馬の骨かわからない」無名の作曲家とは、どうしても結婚相手にふさわしいとは見えず、親戚からかなりの反対を受けました。
そのうえ、軍人家系のロバーツ家は当然のようにイギリス国教会信者でしたが、エルガーはカソリック、と同じキリスト教でも宗派が異なっていたのです。
2人の愛は揺るがず、周囲の反対を押し切って結婚してみると、アリスは献身的にエルガーを支え、エルガーも身分違いの恋を受け入れてくれたアリスの勇気にこたえて、懸命に音楽活動に身を入れます。
しかし、現代でもそうですが、無名の新人が世に出ることは簡単ではありません。
そうだ、作曲者の名前を変えよう!
婚約に関して書かれた「愛の挨拶」、オリジナルの題名は、「Libesgruss」とドイツ語でタイトルがつけられていました。イギリス人同士の2人ですが、ドイツ語に堪能なアリスのことを思ってエルガーはドイツ語でタイトルをつけたのです。英語だと、さしずめ「Love's Greeting」といったところでしょうか。
ところがこのタイトルを変更してフランス語「Salut d'amour」にするようにと、出版社が申し出てきたのです。
どうしてか・・・実は、フランス語の題名にすると、「フランス以外の国で売り上げが伸びる」からなんだそうです。香水やファッションアイテム、ブランド品などの「メイド・イン・フランス」というイメージ戦略と全く同じですね。
もともと名曲なのだから、手に取ってもらえばしめたもの、いかに、楽譜を手に取ってもらいえるかが勝負ですから、編集者は、キャッチーな題名にこだわるわけです。
しかし、いかにタイトルがフランス語でも、作曲者が「エドワード・エルガー」ではいけません。どうしてかというと、ヨーロッパでも決して音楽先進国とは言えないイギリスの名前ということが、明らかだからです。クラシック音楽の世界においては、「メイド・バイ・イングリッシュ・コンポーザー」は、マイナスイメージなのです。
ここにも出版社は工夫を凝らしました。わざと表記を縮めて、「エド・エルガー」作曲、と印刷したのです。イギリス人丸出しのファーストネームを省略したことによって、人々は勝手に「イギリス以外の」国籍を想像し、フランス語の題名に惹かれ、楽譜を手に取って中身を見ることになります。
2つの作戦は見事に当たり、ごく短い小品ですが、この曲は爆発的に楽譜が売れて様々な編成にも編曲されて、超人気曲となりました。
楽譜は売れてもいろいろな事情があり、直接的にエルガー夫妻に経済的メリットをほとんどもたらさなかった「愛の挨拶」ですが、無名の若手だったエルガーの名を高らしめるのに、大いに役立ちました。
アリスとの婚約記念に贈るために作った「愛の挨拶」は、いわば作品それ自体が、抜群の「内助の功」を発揮したわけです。
本田聖嗣