GLAY、夢が叶ってもその先を見せてくれる
4人それぞれの終わりなき開花
[あの夏の日の主役たち・2 GLAY]
タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
JR京葉線の新習志野と海浜幕張の間には、2013年にオープンした新しいショッピングモールが立っている。ほぼ一駅間にまたがる建物は、行けども行けどもという感じすらある巨大なものだ。
以前は広大な敷地に駐車場が広がっているだけだった。そこがどのくらい広いかは、建物が立つことで具象化したと言ってもいい。そのショッピングモールの海側に今もある特設駐車場が、あの夏の日の舞台だった。
ギネス登録の20万人コンサート
1999年7月31日――。
単独アーティストの有料公演の動員数としてギネスにも登録されているGLAYの「GLAY EXPO'99・SURVIVAL」。通称「幕張20万人コンサート」と言われている野外イベントだった。
GLAYは、TERU(VO)、TAKURO(G)、HISASHI(G)、JIRO(B)の4人組。函館の中学・高校の音楽仲間。87年に結成されて94年にデビューした。TAKUROが作る函館出身ならではの抒情性を湛えたヒューマンなメロデイーとビートルズやBOO/WYらに影響されたバンドサウンド、メンバーそれぞれの個性を生かした派手なビジュアルも相まって、爆発的な人気となった。97年に出したベストアルバム「REVIEW」は約450万枚、当時のベストアルバムの記録だ。幕張メッセのイベントは、NHKの「7時のニュース」や一般紙各紙の一面で取り上げられるなど、社会現象のようになった。
ロックは青春の音楽として始まった。
幼馴染だったり同じ高校に通ったりしていた少年がバンドを組んで夢を叶えるために都会に出る。それは、洋の東西を問わない永遠のサクセスストーリーだろう。「いつか武道館のステージに立ちたい、ウッドストックのようなイベントをやることが夢」と言ってきた彼らにとっても、「夢が叶った瞬間」だった。
ただ、である。
そうしたバンドストーリーの多くは、そこまでで終わっていた。夢を叶えるための友情物語は、その先を見せてくれない。でも、当事者たちの音楽人生は続いてゆく。
GLAYが、過去のどんなバンドとも違うのは、その先を見せてくれていることだろう。
夢を叶えてしまった少年たちはどうやって大人になってゆくのか。商業主義のど真ん中で使い捨てられずに自分たちらしく生きていくにはどうすればいいのかーー。
2000年代以降の彼らの活動は、その一点に尽きたのではないだろうか。
98年以来の夏のアルバム
7月12日、彼らの14枚目のアルバム「SUMMERDELICS」が出た。秋から冬に出ることの多かった彼らのアルバムとしては、98年の4枚目「pure soul」以来の夏のアルバムとなった。
一曲目の「シン・ゾンビ」を聞いて耳を疑った。一瞬、アルバムを間違えたのではないかと思ったほどだ。ボカロと呼ばれるデジタルアイドルのような声で始まるポップロックはHISASHIが詞と曲を書いていた。でも、歌っているのはTERUである。明らかにGLAYでありながら、今までのGLAYと違う始まり。リーダーのTAKUROは、筆者が担当しているFM NACK5の「J-POP TALKIN'」のインタビューで「メンバーは反対したんですが、俺は絶対にあれが一曲目だと主張した」と言った。
アルバム「SUMMERDELICS」には、明らかにこれまでになかったことがある。
それは全14曲を4人が作曲していることだ。TAKUROとHISASHIが4曲、TERUとJIROが3曲ずつ。それぞれの個性が際立つと同時にGLAYというバンドの多面性につながっている。中でも、HISASHIのサブカル的センスは今まで見せてこなかったものだろう。
TAKUROは、こう言った。
「彼の才能は16歳の時から感じてましたけど、まだ世の中に受け入れられにくかった。バンドの方にもそれを送り出すだけの力量がなかったんです。でも、これだけアニメソングやボカロが当たり前になる中で、ようやくその時が来たと思ってました」
「90年代のバンドを見ていて、一人の才能が引っ張ってゆくことの難しさは感じてましたね。でも、俺には遜色のない才能の持ち主であるこの3人がいるじゃないか。12,3年くらい前からそう思ってました」
時期を待っていた、ということになるのだろう。
GLAYが最初に「G4」というシングルを出したのは2006年だ。その時はまだTAKUROの曲が主体だった。4人が書き下ろす形になったのは2011年の「G4・II-THE RED MOON-」、14年に出たデビュー20周年記念「BLEEZE~G4・III~」のメイン曲を書いたのはTERU、去年出た「G4・IV」はシングルチャート一位を獲得した。TAKUROは「「G4・IV」が今回のアルバムを決めた」と言った。アルバムの一曲目「シン・ゾンビ」は、その中に入っていた「彼女はゾンビ」を更にバージョンアップしたものだった。
ヒット曲の何番煎じのような曲を作らない
過去をなぞらない。
既存のヒット曲の何番煎じのような曲を作らない。
それでいて商業的な結果も手にする。
更にメンバーそれぞれの才能も開花させる。
20周年を超えて、そういう形で存在しているバンドが他にあるだろうか。
「こういう音楽が消費されることは当たり前ですからね。その中でみずみずしさを失わないで活動するのにはどうすればいいのか。自分たちの人生を賭けて実験してるんだと思います」
アルバムのジャケットは60年代から70年代のサイケデリックロックを思わせる。60年代の終わりのサンフランシスコのヒッピームーブメントの代名詞のように使われていた「サマーオブ・ラブ」もモチーフになっているという。「今、あの頃の時代の気運のようなものを感じる」と彼は言った。
アルバム「SUMMERDELICS」は、2013年のアルバム「JUSTISE」以来のアルバムチャート一位を獲得した。
40代半ば。若者とは言えない年齢になったロックバンドが綴る過去・現在・未来――。
彼らの夏に終わりはない。
(タケ)