夏至あたりに聞きたい天才の代表作「夏の夜の夢」

   1年の太陽に関する節目、春分と秋分は日本では祝日ですし、冬の冬至は「ゆず湯」などに入るので意識したりします。しかし、1年で一番昼が長いとされる「夏至」は、日本ではあまり意識されません。三重県などでは夏至のお祭りがありますが、一般的には4つの節目のうち最も意識されない日なのではないかと思います。

   今年は6月21日でしたが、例年日本列島はこのあたりから梅雨に入るので、太陽そのものがあまり見られない、ということなどに影が薄い原因があるかもしれません。6月に梅雨がなく初夏の良い季節となるヨーロッパ諸国では、「音楽の日」が夏至周辺に設定されて、街中が音楽であふれる・・というような催しも行われます。

   今日は、そんな日本ではちょっと意識しにくい「夏至」に関係の深い曲、フェリックス・メンデルスゾーンの劇音楽「夏の夜の夢」を取り上げましょう。タイトルからわかる通り、これはイギリスを代表する劇作家、シェイクスピアの「A Midsummer Night's Dream」が原作です。英語のMidsummer Nightは、夏至の日の前の晩を指し、秋の万聖節の前の晩のハロウィーンと同じように、妖精たちの活躍が盛んになる・・という言い伝えがあり、それを背景にしたシェイクスピアの恋愛劇は、広く欧州全域で愛好されました。

Read more...

わずか17歳と6か月で完成

   1809年生まれのメンデルスゾーンがまだ少年時代だった1826年、彼の親戚でもある文学者・翻訳家のアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルによって「夏の夜の夢」がドイツ語に翻訳され、彼はそれを目にしました。音楽だけでなく、文学や哲学も深く学んでいた少年のメンデルスゾーンは、シェイクスピアに感激したのでしょうか、彼は、連弾ピアノ・・しばしばオーケストラの代わりとして使われる楽器編成・・のための「夏の夜の夢 序曲 Op.21」を書き上げます。わずか17歳と6か月のことでした。どんな大作曲家でもまだ習作の時代という年齢ですが、この作品は完成度が高く、メンデルスゾーンの代表曲というだけでなく、ロマン派を象徴する作品ともなります。

   ちなみに、メンデルスゾーンは「序曲」と名付けましたが、まだ音楽家としても知られていない彼にとって、オペラや劇の上演は全く想定できず、純粋な「演奏会用序曲」として、作曲されたのです。

   ところが、彼が音楽家として名をあげ、プロイセンの王、フリードリッヒ4世の庇護のもと、ライプツィヒを本拠地として作曲家・指揮者・教育者・演奏家として八面六臂の活躍するようになったとき、王から、ぜひ「夏の夜の夢」の劇音楽を作曲してほしい、という依頼を受けます。プロイセンの宮廷があるポツダムで上演された彼の劇音楽作品が気に入っていたため、ぜひとも、という強い依頼でした。

「結婚行進曲」は間奏曲

   少年時代に作った「序曲」から、16年後、メンデルスゾーンはあらためて「劇音楽 夏の世の夢 Op.61」を作曲し、完成させます。少年時代にピアノ連弾で作曲した「序曲」は、管弦楽編成作品として編曲され、正式な「序曲」として採用されます。

   オペラではないので、劇はセリフだけの部分や、間奏曲として音楽だけの部分があり、進行してゆきますが、特にこの転用された「序曲」と、セリフのみの第1幕のあと、第2幕をつなぐ場面で演奏される「スケルツォ」そして、第4幕と第5幕の間に間奏曲として演奏される「結婚行進曲」は名高く、現在でも世界中で演奏されています。夏至=6月は、ジューンブライドの季節でもありますね。

   わずか38歳の若さで亡くなった天才メンデルスゾーンが、「劇音楽 夏の夜の夢」を完成させたのは1842年、つまり死のわずか5年前でした。結果的に、この作品は、若き彼と、円熟期の彼がコラボした、彼の文字通り代表作となります。

   夏至が近いこの時期に、シェイクスピアに触発されたメンデルスゾーンが描いたファンタジー世界を、ぜひ聴いてみてください。「結婚行進曲」も少し違って聴こえるかもしれません。

本田聖嗣

注目情報

PR
追悼