謎多きイギリスの名曲「グリーン・スリーヴス」 誰もが知っているのに由来も意味も不明
5月になり、日本列島はすっかり緑の風景になりました。4月にはあれほど見事なピンクの花をつけた桜たちもすっかり青々とした若葉の木になり、竹はタケノコが成長して若竹の緑になり、茶畑の新茶は深い緑の葉を付け・・・梅雨入り前の日本は、本当に緑の深い風景が広がっています。
今日は、日本と同じようなヨーロッパの島国、イギリスに伝わる「緑」の曲、グリーン・スリーヴスを取り上げましょう。この曲は「誰でも知っている」曲なのですが、その起源は「誰も知らない」謎に包まれた曲なのです。
どこか懐かしい、不思議な情感
記録としてこの曲らしきものが確認されるのは、1500年代半ばを過ぎたころ、日本では室町末期~戦国時代のことですが、いくつかの記録に「グリーン・スリーヴス」の名が現れます。しかし当然、録音も、さらには楽譜も残っていないため、似たような題名が記録にあらわれたからといって、この曲たち(複数あります)が今日のグリーン・スリーヴスであるかどうかは確定できないのが実情です。
一説には、もっと古い時代に、北部イングランドで作られた、ともいわれていますし、正確な出自がわからずそのミステリアスな登場ゆえ、イングランド王ヘンリー八世(在位1509~1547)が、後に2番目の王妃となる恋人アン・ブーリンのために作曲した曲だ、という説もまことしやかにささやかれました。ヘンリー八世が音楽にも造詣が深く、作曲していたというのは本当ですが、グリーン・スリーヴスを彼の作品だとするのは、さすがに出来すぎた話のようです。実際にはこの旋律は、彼の時代よりも古くから存在していた可能性が高いからです。
グリーン・スリーヴスは、その誕生が謎に包まれていますが、人々の間にいつの間にか広まった民謡の特徴というべき、いくつかのヴァリエーションがあります。旋律の音自体は共通なのですが、楽譜によっては臨時記号、シャープやフラットなどがついて異なる音階を採用しているのです。
いにしえの時代から口伝や吟遊詩人などによって語り継がれたであろう曲としては、こういったいくつかの異なる版が存在することは自然なことですが、それでも特徴的なのは、この曲がいくつかの音階・・やさしく言い換えれば「調」を行ったり来たりすることなのです。それが、このメロディーに不思議な揺らぎを与え、どこか懐かしい、不思議な情感を与えています。
この女性は娼婦? いや、すでに亡くなっている、という解釈も
不思議な情感を生み出すグリーン・スリーヴスは、17世紀、つまりヘンリー八世の子、エリザベス一世の時代には広くイギリスの人々に知られる曲となっていたようで、1602年ごろ書かれたといわれるシェイクスピア作品「ウィンザーの陽気な女房たち」の中でも言及されています。
当時の流行に敏感で、舞台に次々に取り入れていったといわれるシェイクスピアに着目されているわけですから、相当なポピュラー・ソングだったということがわかります。
シェイクスピアに取り上げられ、エリザベス朝期にはごく一般的に知られていた民謡ですから、その出自は謎に包まれていたとしても、後の時代の作曲家たちがほっておくわけがありません。このメロディーは、クラシックをはじめ、ジャズ、ロック、ポップス、フォーク、ケルト系の音楽、そして日本のアニメ音楽まで、多種多様なアレンジにより、採用されて、今や世界中で親しまれているメロディーとなっています。
クラシック系の編曲の中では、近代の作曲家、レイフ・ヴォーン=ウィリアムズがもともとシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」をオペラ化した時に書いた間奏曲を、ラルフ・グリーヴスという他の作曲家が編曲して独立させた、「グリーン・スリーヴスによる幻想曲」が、人気が高く、有名な曲となっています。フルートとハープの幻想的な出だしから始まるこの曲は、一瞬にして我々をルネサンス以前の、中世イングランドの田園地帯にいざなってくれるかのようです。
もともと、民謡ですから、歌詞が伝わっているのですが、題名の「緑の袖(グリーン・スリーヴス)」が何を示唆しているのか、わかっていません。袖に、草の緑の葉緑素が付着している...という発想から、この女性は野外を仕事場とする娼婦だったのだ、という解釈もあり、一方では、緑は特にケルトの影響が強いイングランド北部やスコットランドでは妖精の色とされているために、この女性はすでに亡くなっているのだ、と解釈する向きもあります。
誰でも知っているのに、由来と意味は誰も知らない・・・そんな謎めいた有名曲は、今日も、謎を増幅するようなメロディーで、世界中の人々を魅了しているのです。
本田聖嗣