若きベートーヴェンの意欲作 ヴァイオリンソナタ第5番「春」
寒い日々が続いた3月でしたが、4月になり、ようやく全国でソメイヨシノの開花宣言が出されるようになり、日本列島はいよいよ春らしくなってきました。
今日は「春」というニックネームを持つ、ベートーヴェンの曲を取り上げましょう。正規の題名では、ベートーヴェン作曲の「ヴァイオリンソナタ 第5番 ヘ長調 Op.24」というのですが、通称「スプリング(春)・ソナタ」と呼ばれています。
モーリッツ・フォン・フライ伯からの依頼
ベートーヴェンは自分の楽曲に、サブタイトルをつけるのを好みませんでした。音楽は音楽でしか表現できないことのために作るわけであって、言葉は余計だ...と、このような考え方だったようです。
しかし、この曲は、後世の人間によって「春」というニックネームを奉られ、全部で10曲あるベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中でも、第9番「クロイツェル」の次ぐらい有名かつ人気の曲となっています。
ヴァイオリンソナタとしては5番目、全10曲のうちのちょうど半分の作品ではありますが、この曲はベートーヴェンが30~31歳のころ書かれました。20歳代までは、「即興もこなすピアニスト」としての活動がメインだったベートーヴェンにとっては、初期作品の中の一つといってよいでしょう。
ひとつ前の第4番 イ短調 Op.23と一緒に構想されたのですが、それは、彼の友人であり、数多くの芸術家のスポンサーだったモーリッツ・フォン・フライ伯の依頼だったからだといわれています。
彼は30歳ごろから、当時のハプスブルグ帝国内で最も裕福な銀行家だったフライ伯の邸宅で数多くの演奏会を開いていて、その過程で、2曲の対照的なヴァイオリンソナタの作曲を依頼されたようです。
「春」とベートーヴェンの運命
ヴァイオリンソナタという分野は、ベートーヴェンの時代のすぐ直前まで、事実上「ヴァイオリンの助奏つきピアノソナタ」というものが多く見られました。鍵盤楽器のピアノのほうが主役で、ヴァイオリンが脇役としてそれに絡む、というスタイルです。
ベートーヴェンの4番以前の作品も、その傾向が見られますが、彼は、この4番5番で、彼自身がピアノに比べてヴァイオリンの演奏ははるかに苦手だったにもかかわらず、ヴァイオリンの重要度を増す工夫をしています。
直前の第4番はどちらかというと暗く、悲劇的な雰囲気の部分が多く見られますが、対照的に第5番は、ヴァイオリンとピアノがほぼ対等な関係で、とても軽やかかつさわやかな旋律を紡いでいく、まさに「春」という言葉がぴったりな快活な曲になっています。第4番が3楽章までだったのに対し、第5番は全4楽章となり、ここでもベートーヴェンがヴァイオリンソナタという形式を発展させようとしている試みがうかがえます。
ベートーヴェンは同時期に交響曲 第1番 Op.21も書いており、それまでの「作曲もするピアニスト」から、本格的な作曲家として世の中に評価を問おうとしている姿勢がうかがえるのです。1770年生まれのベートーヴェンが30歳のころ、というのはちょうど1800年。このヴァイオリンソナタは、ベートーヴェン自身の作曲家としての第一歩を告げる「春」であり、19世紀のスタートを告げる「春」であったともいえるでしょう。
しかし、好事魔多し。ベートーヴェンはこのころから耳の疾患に気づき始め、音楽家としては致命的な「難聴」と戦うことになります。同時に、ヨーロッパはナポレオン戦争の渦に巻き込まれ、この曲の依頼者、ベートーヴェンだけでなくシューベルトなども支援したモーリッツ・フォン・フライ伯も、破産に向かって突き進むことになります。
春は、やはり桜のように儚かったのかもしれません。
本田聖嗣