「ふつう」の日本企業が世界競争に勝てる会社になった理由
■「ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ」(三枝匡著、日本経済新聞出版社)
本書は、金型部品等を扱う専門商社「ミスミ」の経営を、プロ経営者の草分けともいえる著者が創業者からバトンタッチされ、海外市場進出、製造会社の買収による業態転換、カスタマーセンターの統合等のオペレーション改革を次々と実行し、12年間で売り上げが4倍、従業員が30倍へと大発展を遂げた過程を赤裸々に描いたドキュメンタリーである。
400ページを超える大部な本であり、経営学の教科書として読むこともできるが、企業改革のドラマとして時間を忘れてさくさく読める。
こうした企業の成功物語はあまた存在するが、評者が本書を取り上げたのは、
① 東証一部上場とはいえ決して有名とは言えない「ふつう」の企業において、驚くような改革が継続して実施されていること、つまり、どんな会社でも実行できるんじゃないかという親近感が持てること。
② すべて実話であり、改革のプロセスにおいて、著者自身の手で行われた経営課題の把握や決断、社員への動機付け、教育・育成などが、失敗を含めて具体的かつリアルであること、(読者にリーダーとしての覚悟と能力があれば)すぐにでも応用できそうに感じられること。
③ 中堅・若手の社員達が、海外進出、企業買収など極めて高いハードルにチャレンジし、途中、「もはやこれまで」と思えるような大失敗や挫折に遭いながらも、著者の優れたリーダーシップの下で、乗り越えていく様々な挿話は、経営者人材の成長物語であり、閉塞感漂う日本企業の将来に、可能性という希望を与えてくれるからだ。
本書は特に、マネジメントやリーダーシップについて示唆に富むが、以下、評者が特に印象に残った3点について述べる。
「戦略」なくして「改革」なし――戦略的思考をどう根付かせるかがカギ
ミスミは、元々、機械部品をカタログで売るというユニークなビジネスで頭角を現し、規模を拡大してきたが、著者が経営を引き継いだ創業40年の段階では、中核事業の金型部品市場の成長が鈍るなかで、事業の多角化を目指し、様々な分野への展開を図っているところであった。
著者は、バブル時代の重厚長大企業が演じた空しい多角化ベンチャー騒ぎの教訓から、シナジー(相乗効果)の得られない多角化を「戦略なきよろず屋」と呼び、決して成功することはないと確信していたが、案の定、ミスミも同様の状態であったという。
以下は、著者がミスミの社長に就任する前に社外取締役を務めていた頃の話である。
新年度の事業計画のレビュー会議の場で、ある執行役員が、工業機械部品の米国展開のプランをプレゼンしたと思ったら、今度は国内事業の企画として、居酒屋向け新商品としてタコ焼きを売り出す構想を話し出した。
「戦略なきよろず屋」ぶりに我慢がならなくなった著者は、思わず次のように発言した。
「さっきは『米国戦略』でしたが次は『タコ焼き』ですか。あなたの頭のなかでは、どっちが最優先事業ですか」
会場は大爆笑となったそうだが、著者は深刻に受け止めたという。
「自分だったら一瞬で、タコ焼きより(国際展開たる)米国が重要だと答えている。全社視点で各事業の戦略優先度が明確にされていない」
著者によれば、当時のミスミでは、(おそらく多くの日本企業が同様の状況にあると思われるが)こうした戦略を論じるための基礎的なノウハウを身につけていなかった。率直にいえば、成り行き任せ、出たとこ勝負で事業を行ってきたという。
本書では、ある事業分野の5年後の売上目標と、それを実現するための事業計画の策定を命じられた事業部長と著者との間の7か月にわたるやりとりが詳細に描かれている。
当初、競合相手が誰であるかも考えられていない裏付けの乏しい事業計画案が提出される。それが著者から幾度もダメだしされることで、徐々に商品別の利益率と成長見込みを加味した商品戦略へと発展していく。このプロセスは、まるで九九しか知らない「小学生」が、いつの間にか専門用語を駆使しながら経営戦略を語る「経営幹部」へと成長したかのようだ。
途中、戦略の何たるかを理解できず、ダメだしを繰り返される事業部長に対して、著者が叱責する場面がある。
「君たち、これは学生の勉強じゃない。インテリ・サラリーマンの知識コレクションでもない。君らの提案に沿って経営トップが動き、社員が現実に動員され、経費や投資を注ぎ込むナマの勝負なんだ。後になって、考えが浅かった、戦略が間違っていたなんて言えないんだ」
「この事業の将来は、君が作る論理にかかっているんだ。ロジックなんだよ、ロジック」
著者は、こうした「親身のスパルタ指導」により、ミスミの社内に戦略的思考を植え付けていった。結果として、短期間のうちに社員の戦略意識と経営技量が上がり、その後の爆発的な成長につながっていったと総括している。
戦略的思考を組織文化とし、それを維持し続けられるかは、極めて重要なカギとなるのだ。
「経営リーダーが戦略を明確に打ち出し、それに共感した社員がスクラムを組んで走りはじめたら、これが同じ会社かと思うくらい、何倍もの働きを始める」
リーダーシップ――常にハンズオン、混沌をシンプルなストーリーに還元し、熱く語る
著者自身が社長という立場であることから、本書の視点は、経営者目線であり、その内容もついついリーダーシップ論となるが、やはり30代の若い頃から会社経営者の立場を経験してきたこともあって、興味深い指摘が多い。
「何か異常を感じたとしても、それが本当に問題なのか、ただの思い過ごしなのかは咄嗟にはわからない。何かを感じたら、現場に足を踏み入れる。ハンズオンで現物に触れる。問題の本質が何かを確かめる。周囲の部外者にも意見を聞く。問題がないとわかったら、サッと引き上げる。タッチ・アンド・ゴーで元に戻るのだ。優れた経営者の仕事は毎日、その動作の繰り返しである」
「人は、もつれた糸のような混沌を《自分たちの手に負える大きさ》にまで分解しない限り、中身を理解することはでき」ず、優れたリーダーは、この混沌を徹底的に考え抜き、因果律に分解し、その中でも問題の根源となったものをわかりやすく抽出し、次のセリフを言う。
「この問題って、要するに、こういうことじゃないの」
著者は、この「謎解き」を皆の機先を制して、正確に、そして毎分、毎時、毎日、毎月、毎年、きちんとやっている人を強いリーダーだとする。まだ見えていないことが多い段階で「決定」というより「決断」を下すのだという。
混沌とした状況を誰も見えていないうちから「シンプルなストーリー」に要約し、何をすべきか(戦略、シナリオ、対策)を「熱く」語る、それがリーダーの仕事だというのだ。
「危機感を持ち、クールに問題に切り込もうとするトップは、現場から怖がられることはあっても、好かれることはほとんどない。それがトップの宿命だ」
「トップが自ら《ハンズオン》(現場主義)の経営スタイルをとらない限り、会社を改革したり、組織の危機感を高めたりすることはできない。トップが温かい人気者であり続けることなどないのである」
いやはやリーダーは大変である。
人材の育成こそが最重要課題――日本企業なら「我慢」も必要
「私が社長に就任する第一の目的は『経営者人材の育成』です」
「私は16年間、追い詰められた日本企業の『事業再生』に取り組む仕事をしてきて、いまの日本経済の不調は、日本の経営者人材が枯渇しているために起きている、と感じています」
これらは、著者が、ミスミの社長に就任した際の記者会見で発した言葉だという。
著者は、ミスミでの経営者としての12年間、常に意識し続けた課題が、この「経営者人材の育成」であったと述懐する。退任時にはミスミの経営を40代の経営陣に引き渡すことを目指して、若手の育成に全力を注いだという。
しかし、その道程は困難を極め、「いまは能力不足でも、育てるために面倒を見る」というやり方をやめ、人材の良し悪しの判断を早めて、こいつはダメだと思えばサッと入れ替えるようなやり方をとったほうが、この苦しさから抜け出る早道かもしれないと何度か思ったと語る。
それでも著者は、当時50代の「できあがった経験者たち」を集めるという誘惑を我慢し、「経営者予備軍が通う幼年学校の校長先生」として、初歩から繰り返し、何度も何度も指導を重ねた。結果として、この我慢は奏功した。
いま、振り返ると、経営者人材を育成するのには10年単位の期間が必要だったという。
欧米企業では、2~3年で成果を出せるかどうかで経営者を取り換えていくが、生え抜き登用が一般的な日本企業においては、中長期の視点から人材育成を考えなくてはならない。
「経営者の技量は、過去に経験した『死の谷』の回数で決まる」
リーダーは、経営者人材を育てるために、あえて困難や修羅場の経験を積ませるとともに、そこでの失敗やもたつきを我慢する腹の据わった覚悟が必要なのだ。
本書を通読すると、まず、プロ経営者としての著者の偉大さが目に付くが、ここで取り上げられている一つ一つの具体例は、日本の「ふつう」の企業において、しばしば目にする光景ばかりだ。
自分には(自分の会社では)無理だと思わず、参考となるアイディア、アプローチを取り入れ、ねばり強くこだわり続けられるかどうかが読者にとっての本書の価値となろう。
ペンネームJOJO(厚生労働省)