「震災前より魅力的な福島県になるように」 福島県、YouTubeで復興動画を公開中

   東日本大震災発生からまもなく6年。被災地の状況を伝えるニュースは落ち着いた感がある。その一方で今も復興に汗を流している人がいる。福島の今を知る動画スペシャルサイトFUKUSHIMA NOWでは、浜通り地方の復興状況が分かる動画「復興の浜へ ―津波被災地のいま―」を2016年11月から公開中だ。

(写真左から)「福耕支援隊」の彌田雄太さん、福島県職員の鈴木智子さん
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土木職員「故郷の復興に携わりたい」

   福島県土木部の技師・鈴木智子さんの勤務する県土木部は、社会資本を支える重要な部署だ。東日本大震災をいわき市で経験した彼女は、「故郷の復興に携わりたい」という思いから福島県庁へ就職。現在は、被災した土木施設の復旧・復興工事などに携わっている。

   1分8秒過ぎの映像には、被災地への救援ルートとして整備された道路や、海岸堤防のかさ上げ工事の様子が流れる。鈴木さんは優しい表情でこう決意を述べる。

「津波があっても、東日本大震災みたいな同じ被害がないような町づくりをしていく。安心してくらせる福島県を」
「私個人の力はすごく小さいですが――土木の部門から支える力になりたい。震災前より福島県が魅力的なまちになるように頑張りたいです」

   3列の山地が南北に走る福島県は、会津、中通り、浜通りの3地域に区分される。16年12月31日現在、会津と中通りの災害復旧工事は100%完了した。浜通りについても災害査定を受けた1566件のうち1247件(80%)が完了している。残り20%のうち18%は着工済み。帰還困難区域を除き、19年度末までの復旧完了を県は目指している。

   15年3月、常磐自動車道が全線開通した。東北自動車道が降雪などで通行困難になったときの代替路として期待は高い。3分5秒ごろに登場する「セデッテかしま」(南相馬市)は、福島県内の常磐自動車道では唯一のサービスエリア。市の物販観光施設としても機能している。

   本動画では紹介されていないが、常磐自動車道の相馬ICと東北自動車道の(仮)福島北JCTを結ぶ相馬福島道路の整備が早期の開通を目指して進められている。完成後は交通・防災ネットワークが形成されるとともに、県内陸の企業が相馬の港を活用するケースが増えると予想される。

大分県から来た職員が気づいた福島の魅力

   福島県職員は浜通りに集中配置されている。「福耕支援隊(ふっこうしえんたい)」は、不足している人員を補い、農地の災害復旧を進めるため、国や福島県外の地方自治体から支援に駆け付けた農業土木技術職員だ。現在の隊員数は20人ほどで、沿岸地を中心に活動している。

   福耕支援隊のメンバーとして農地の災害復旧に取り組む彌田雄太さんは、福島県庁プロパーの職員ではない。16年に大分県庁から志願してやってきた。相双地方の農家が震災前よりも好条件で農業を再開できるよう、田んぼの区画を大きくしたり、水路となるパイプラインを整備したりする仕事に従事している。

   16年9月末現在、農地の復旧は73%まで進んだ。20年度末までの復旧完了を目指している(避難指示が出された区域を除く)。南相馬市の田園を目の前に、彌田さんは福島の復興は着実に進んでいると語る。

   ところで九州出身の彌田さんにとって福島の地はどのように映ったのか。

「農産物の生産が盛んで、一年を通して色々な県産果物を食べられます。美味しい日本酒が多く、それぞれが違った味なので、以前はあまり飲まなかった日本酒を飲むようになりました(笑)」
「大内宿や五色沼、ハワイアンズなど広大な県土の至るところに観光名所があるので、その点もこちらに来て気づいた福島の魅力です」

   映画「フラガール」で有名になったスパリゾートハワイアンズ(いわき市)は、常磐炭田の閉山でこの地域を襲った不況を救うため、炭鉱内に湧き出していた温泉を利用して作られた。工場の誘致も進み、北九州や北海道の炭産地が石炭産業の脱却に苦労しているのをしり目に、いわきは県内有数の工業都市に変貌する。

   福島人たちはたくましい。東日本大震災という逆風を乗り越えて、新たな道を切り開くはずだ。

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