スペインの作曲家グラナドスの代表作「ゴィエスカス」の中の名曲、「嘆き、またはマハと夜鳴きウグイス」
今年は酉年です。酉年は今までの歴史を振り返ると「革命の年」と言われるぐらい過去に変化が起こってきた年だそうですが、確かに新年1月からアメリカ大統領に異色のD.トランプ氏が就任したり、イギリスがEU離脱の手続きを始めたり、オランダの総選挙やフランスの大統領選があったりと、「変革」を予感させる政治日程がつづきます。
そんな酉年に絡めて、今日はタイトルに鳥が入っているとてもロマンティックな曲を取り上げましょう。スペインを代表する作曲家、エンリケ・グラナドスの人気作「ゴィエスカス」の中でも一番の人気のある曲、「嘆き、またはマハと夜鳴きウグイス」です。
「スペインのショパン」と呼ばれた腕前
ウグイス、といってもこれは日本で春を告げる鳥とはあまり関係のない「ナイチンゲール」のことです。日本での正式名称は「サヨナキドリ」と呼ばれるスズメ目ヒタキ科に属する鳥(ウグイスはスズメ目ウグイス科です)で、日本のウグイスに匹敵するほど鳴き声が美しいので、西洋ウグイスとも呼ばれています。
グラナドスは、1867年スペインのカタロニア地方に生まれました。スペイン国内で音楽を学んだあと、多くのスペインの音楽家と同じく、隣国フランスのパリに留学し、帰国後、まずピアニストとしてデビューし、その腕前から「スペインのショパン」と呼ばれたこともあったようです。
順調にピアニストとしても、またスペインの民族的な題材を織り込んだ作品を生み出す作曲家としてもキャリアを積んだグラナドスが、代表作「ゴィエスカス」を作曲したのは1911年のことでした。彼の得意な楽器、ピアノのための組曲としてまず世に送り出されたのです。ゴィエスカスというタイトルはスペインを代表する画家、フランシスコ・デ・ゴヤ風のという意味で、各曲の題名もゴヤの絵画の題名を意識したものとなっています。しかし、必ずしも特定の絵に特定の曲が対応しているわけではなく、あくまでもグラナドスがゴヤの「世界観」が気に入っていた、というところから発想を得て作曲された組曲でした。初演はグラナドス自身のピアノによりバルセロナで行われましたが、この曲の人気は当初から大変高く、グラナドスはこのピアノ組曲を素材として管弦楽に編曲し、さらに曲を付け加えてオペラとすることを決断します。ピアノ組曲の時点で「恋する若者たち」という副題がつけられていましたが、脚本ではそれを膨らませて1800年ごろのマドリードが舞台の恋物語とし、スペインの「大衆的オペラ」であるサルスエラの形式で1916年に完成させました。
アメリカで初演するも、予期せぬ悲劇が
もともと人気のあるピアノ組曲の音楽を全面的に転用したオペラ作品ですから、上演されれば成功は間違いなし・・のはずだったのですが、1914年からヨーロッパは第1次大戦に突入しており、グラナドスのオペラ作品を初演してくれる劇場はありませんでした。そのかわり海の向こう、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が手を挙げて、初演はアメリカで1916年初頭に行われることになりました。
スペインを代表する作曲家として夫人とともに招待され海を渡ったグラナドスは、オペラ「ゴィエスカス」初演に臨んだ後、当時のアメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンに特別に望まれて、ホワイトハウスでピアノリサイタルを開く栄誉があたえられました。しかし、これが運命の分かれ目だったのです。演奏会のため、当初帰路乗船するはずだったスペイン直行便には乗れず、便を遅らせて当時フランスの船だったサセックス号に乗り込んで欧州に向かいましたが、イギリスを経由した後、到着直前の英仏海峡でドイツのUボートの雷撃にあい、船は沈没しなかったものの、グラナドス夫妻は波間にその生涯を終えたのです。
言い伝えによると、グラナドス自身は船の上で無事でしたが、船体から投げ出されたらしい夫人の姿を海中に見ると、躊躇せず海に飛び込み、帰らぬ人となった・・とも言われています。アメリカ大統領は間接的ですがクラシックの音楽史を変えてしまったのです。
ピアノ組曲「ゴィエスカス」の4曲目、「嘆き、またはマハと夜鳴きウグイス」は全曲の中でも特にロマンティックで「泣かせる旋律」にあふれています。最後にはナイチンゲールの鳴き声を模したパッセージも出てくるこの曲は、グラナドスの悲劇的な死を悲しむかのような、心に沁みる名曲となっています。
本田聖嗣