「働き方改革」論議からみえる
日本の昨日、今日そして明日

   『「持たざる国」からの脱却』(松元祟著、中公文庫)

   『正社員消滅時代の人事改革』(今野浩一郎著、日本経済新聞出版)


   評者は90年代半ばに海外留学の機会をいただいた。いろいろなことを学ばせていただいたが、その後たびたび思い起こし、その含意をかみしめることになったエピソードに次のようなものがあった。

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日本の長期不況を見通した北欧の院生のコメント

   経済学のセミナーで、リレー形式で研究者がプレゼンするという、経済数学にどっぷりつかる講義が多いなかにあって比較的肩の力の抜けた講義が一コマあった。当日は、日本の労働経済を研究していたアメリカ人の先生が講義を受け持ち、日本の労働市場が取り上げられた。講師は日本的雇用慣行の特徴として、終身雇用、年功賃金、企業内組合というお決まりの三点を挙げた。その上で、この慣行が日本経済の良好なパフォーマンスに寄与した理由として、労働者の仕事の範囲が窮屈に決められていないぶん、それぞれの労働者がチームの成績の向上のため、自分の領分を多少超えて創意工夫をすることを挙げた。そうした創意工夫により、市場環境への変化に柔軟に対応することができたというわけである。

   この解説に対し、北欧出身の院生のひとりが手を挙げた。その雇用慣行は、安定的な市場環境のなかで日常的変化に対応するにはよいが、非連続的な市場環境の変化に直面すると、たちまち機能不全に陥るに違いない。講師と院生のやり取りは平行線におわったと記憶している。当時、バブルが崩壊したとの認識はあったが、もっぱら金融面からの理解にとどまり、日本の経済社会のあり方そのものが限界に突き当たっているとの認識は薄かったように思う。日本のことを院生はほとんど知らなかったと思うが、ロジックの力だけで、その後の我が国が経験する困難のほとんどを見通していた、というのは言い過ぎだろうか。

すべての問題は働き方からやってきた

   『「持たざる国」からの脱却』(2016年)は、IT革命によるモジュール化という生産構造の激変によって、日本人の働き方が世界から取り残されたことを指摘している。そして、そのことが、日本のマクロ的な低成長、低生産性、ワーキングプア等の社会保障の機能不全、ワークライフバランスの喪失、少子化など我が国の抱える経済社会問題の多くの淵源となっていることをひも解いている。我が国の立ち位置を再認識する上で、本書には広く手に取られるべき価値がある。GDPは我々ひとりひとりが働いて加える付加価値額の総計なのであるから、ひとりひとりの働き方に無駄があり、創意にも工夫にも欠けるのであれば、低成長は当然の帰結なのである。油断していると、我々はその厳然たる事実をすぐに忘れてしまう。

   筆者の松元氏は内閣府次官をつとめた人物である。筆者の認識と現在政府で進めている「働き方改革」との間には働き方の中心的重要性という共通の問題意識がある。この問題意識が政府内で広く共有されてきたことの証左であろう。「働き方改革」では、同一労働同一賃金、長時間労働、女性活躍、病気治療と仕事の両立、柔軟な働き方など様々な課題について議論がなされている。すでに同一労働同一賃金のガイドライン案が公表されているが、改革全体としては16年度末までに方針を示すという。「働き方改革」は対野党の政治戦略の一環として評する向きがなくはないが、この問題にどういう答えを出すかが、今後の日本のあり方を左右する大きな要素であることは間違いないだろう。

では、働き方をどう変えるのか

   『正社員消滅時代の人事改革』(2012年)は、人事制度の研究者として長年企業と対話してきた今野氏が、今後の人事制度、働き方の見直しの方向性を具体的に示そうとした苦心の作である。今野氏が注目するのは、松元氏も指摘していたように、企業側で新しい働き方へのニーズが高まっていることとあわせ、労働の側でも、高齢社員、女性社員、病を抱えた社員、家庭に要介護者を抱えた社員など、無制約に働くことができる旧来の正社員とは違う「制約社員」の割合が高まり、新しい働き方へのニーズが高まっていることである。

   こうした需給両面からの労働への新しいニーズに対応するため、今野氏の提唱するのは、正社員と非正社員を隔絶した「一国二制度」型の人事管理から、社員を身分ではなく仕事基準で公平に管理する多元的で柔軟な人事管理への転換である。本書では、個別企業の人事制度が紹介されており、労使双方が働き方をどう変えていくか考察する際の指針となるものである。

   政府で「働き方改革」がはじまって以降、りそなホールディングスの職務等級制度が広く知られるようになった。りそなの制度と本書の描く制度は、多様な社員をできる限り同一の制度に乗せ、社員ステータス間を相互に移動しやすくするなど共通点が多い。政府が取り上げるまでもなく、現場は必要に迫られて変革を重ねてきたということになる。ただ、働き方は国民ひとりひとりの問題であるし、また判例を含む労働法制によって枠づけられている面もある。政労使の取り組みを通じて、相乗効果があげられるか注目していきたい。

   それでも...

   これまでみたように、我が国の直面する問題の多くが働き方に淵源を持つのであり、改革論議における働き方のポジションをもっと高める必要がある。他方、それでも、問題の由来が労働にあったとしても、問題発生以来すでに2、30年の時が経過したことの事実は重い。正社員になることができず訓練を受けてこなかった層が中年にまで達し、我が国の人的資本を大きく毀損してしまった。少子化によって第三次ベビーブームが起きなかったことは、我が国の人口構造に長きにわたり修復不能な歪みを残した。もはや働き方を見直すだけでは不充分なところに我々は立っている。ただ、それでも、働き方の問題が改革の中心的な課題であることはもっと認識されてしかるべきだと思うのである。

経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion

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