速筆ロッシーニの確信犯的「再」転用は代表作に
オペラ「セビリアの理髪師」序曲
先週とりあげた、モーツァルトの「交響曲 第37番」とされた作品は、「交響曲の父」ヨーゼフ・ハイドンの弟、ミヒヤエル・ハイドン作の交響曲に1楽章の序章の部分だけを作曲して加え、自作として上演してしまった曲でしたが、こうした「転用」は、昔は結構当たり前に行われていました。録音もあり半永久的に記録が残る現在とは著作権の概念も違いましたし、作曲家という存在が、1曲1曲に魂を込めなくてはならない「芸術家」というより、注文に応じて作品を量産する「職人」に近かった時代ですから、背に腹は代えられないときには、既存の作品を転用することもありえたのです。とはいっても、他人の作品を持ってくるのは、やっぱり盗作といわれかねないので、・・・・モーツアルトとM.ハイドンの間には厚い信頼と、お互いに作品を提供しあう「持ちつ持たれつ」があったから可能だったのだと推測されます・・・・多くは、自分の過去の作品を「転用」するというスタイルでした。バロックの作曲家ヘンデルも、意外なことですが、かなり「自作の転用」をやっています。論文などでも、盗作はインターネット上の有志によって特定されてしまう現代では考えられないかもしれませんが、録音という記録方法がなかった昔、音楽は「作曲し上演されたら忘れ去られるもの」という感覚も強く、自作の転用ならば、質も確保されているし、それによって「量」が満たされるならやむなし、という考えが一般的だったといってもいいでしょう。実際、それぐらい、クラシック音楽がヨーロッパの音楽シーンの中心的存在だった時代には、なにより「量」が求められることがありました。次々とヒット作を生み出す人気作曲家は、王族並みの名声を得ることもありましたが、その一方で、量産仕事に向いていなければ、第一線に残ることができなかったのです。
エネルギッシュなロッシーニの肖像
37歳で引退、美食三昧の生活に
1792年、イタリアの当時は教皇領だったペーザロに生まれたジョアキーノ・ロッシーニは、生涯に39のオペラ作品を発表し、本国イタリアのみならず、広くヨーロッパで知られた人気作曲家となります。時は古典派からロマン派の時代に移り変わるところ、音楽の「受け手」もそれまでの王族・貴族階級から、新興市民階級に変化したところで、ロッシーニの喜劇的色彩が強いオペラの数々は、爆発的なヒットとなり、20歳以上年上のベートーヴェンも、彼と面会した時に、一連のオペラをほめたたえたというエピソードが残っています。
ロッシーニは、そのオペラすべてを、37歳の引退までに書いています。彼は音楽と同時に美食に興味があり、イタリアでの「こき使われるオペラ作曲家」の立場に嫌気がさし、フランスへ「逃亡」して、最後のオペラ「ウィリアム・テル」を発表するとともに、オペラ作曲家としては引退して美食三昧の生活に入るのです。
・・・・ということは、現役オペラ作曲家だった20数年の間は、ものすごい勢いでオペラを量産したことになります。上演に数時間かかるオペラのすべての曲を作曲し完成させるというのは大変な仕事なのに、年に2,3曲のペースで作品を完成させたことになります。ものすごい「速筆」でないとつとまりませんね。
「序曲」をめぐる顛末とは
彼の代表作、「セビリアの理髪師」は、全2幕、2時間40分もかかるオペラの全曲をわずか2週間ですべて作曲したということになっています。これはもちろんロッシーニにとっても最速記録です。有名な作品ということもあって、多少「話が盛られている」としても、人間離れした速度で作曲をしていったことは事実だと思われます。時は1816年、24歳のロッシーニにはエネルギーがみなぎっていたのでしょう。
オペラの「本体」は、無事に完成したのですが、ローマでの初演日の直前になって、ロッシーニははたと気づきました。「序曲がない!」・・・オペラには、全体のあらすじを音楽的に予見させるような「序曲」がつきものです。本体を完成させてからでないと、とりかかりにくいものだから、ロッシーニは作曲を後回しにしていたのです。しかし、もう時間がありません・・・!
そこでロッシーニは、「自作転用」に走るのです。その前年、1815年にナポリの劇場向けに完成させていた「イングランドの女王エリザベッタ」、こちらは「セビリア」とは違って、シリアスなオペラでしたが、この序曲をそのまま、転用したのです。
しかし、驚くなかれ、「エリザベッタ」の序曲も転用だったのです。これは、もともと1813年、ミラノのスカラ座で初演された「パルミラのアウレリアーノ」というオペラの序曲だったのです!つまり、「再」転用ということですね。
多少は手を加えているものの、序曲として使われたそれぞれのオペラの時代・場所の設定もまちまちで、喜劇に悲劇と全体の傾向も違うのに、同じ音楽が、あたかもオリジナルのようにフィットしてしまう・・・「序曲の2回転用」の事実の前に、ロッシーニの作曲の才能に驚いてしまいます。まあ、このように「どの場面をとってもふさわしく聞こえる」曲を書いてしまえる実力がもともとあったからこそ、ヒット・オペラを量産する「速筆の達人」になれたのかもしれません。
本田聖嗣