『100年前の女の子』が文庫本に 明治・大正の民俗がよみがえる
編集者として数々の実績を残してきた船曳由美さんが、明治から大正期の少女の物語をつづった『100年前の女の子』が文庫本になった。6年前に単行本として出版されたときは丸谷才一さんが新聞書評で絶賛し、テレビやラジオでも話題になった。
文庫版では直木賞作家の中島京子さんが「語り手はこれ以上ない聞き手に出会い、聞き手はこれ以上ない題材を見つけた」と解説している。
「一〇〇年前の女の子」 (船曳由美著、文春文庫)
『太陽』出身の辣腕編集者
船曳さんは1938年、東京生まれ。東大の社会学科を出て平凡社に入り、雑誌『太陽』創刊から編集者として深くかかわった。編集長はのちに民俗学者として高名になった谷川健一さんだった。
松本清張さんの邪馬台国の取材では九州各地をともに歩き、土門拳さんとは一年間にわたって東大寺の撮影を続けた。その後、集英社を経てフリーに。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳)や、『完訳ファーブル昆虫記』(奥本大三郎訳)なども担当、出版業界では知る人ぞ知る辣腕だ。
その船曳さんが2010年に出した『100年前の女の子』は、それまでの作品群とはちょっと趣が変わっていた。約100年前の1909(明治42)年に栃木県の田舎の村に生まれた一人の少女の半生を、当時の風俗を交えながら、本人の口述をもとに振り返るものだった。
世間ではまったく無名の、つつましい人生を送った女性――実はその女性とは、船曳さんの母親だった。
「常民の歳時記」
母の名は寺崎テイという。『100年前の女の子』は、テイさんが生まれてまもなく実の母から引き離され、あちこちに預けられ里子に出され、ついには5歳の時に養女になり、16歳で東京に出てくるまでのことを丹念にたどっている。
四季折々の村の暮らし。お正月やお盆、節分、十五夜。厳しい野良仕事の手伝い。米寿を過ぎるころからポツリポツリと昔のことを語りだしたというテイさんの記憶は、驚くほど鮮明で、村人たちが交わしていた話もよく覚えていた。それは形を変えた実録「遠野物語」であり、日本のどこの田舎にもあった「常民の歳時記」だった。
だからこそ単行本の刊行時に丸谷才一氏は毎日新聞で、「心にしみる伝記が一つ出来た」と紹介し、三十代、四十代の読者からは「私たちも、おばあちゃんの話をもっと聞いておけばよかった」という読後の声が寄せられた。
好評だったのは、編集者・船曳さんの編集者のウデによるところも大きい。文庫本の解説で中島さんは、「口承と取材による裏付けが、全く切れ目を見せず、一幅のなめらかな織物のように、少女の物語として織り上げられているところが、この作品の稀有な印象を形作っている」と、編集の巧みさを強調している。
テイさんは単行本刊行後の2010年12月9日、午後のまどろみのうちに、だれにも気づかれずに逝った。101歳だった。「妣(はは)なる国」で、終生相まみえることのなかった実の母と会えただろうか・・・。船曳さんは文庫本のあとがきで静かに思いをめぐらせている。
文庫本は2016年7月、文春文庫刊。本体780円。