スイスアルプスの夏のさわやかな夜明けを感じることのできる、スイス人オネゲルの「夏の牧歌」

   先週は田園地帯を歩き回って作曲したウィーンに暮らすドイツ人、ベートーヴェンの田園交響曲を取り上げましたが、今日は、真夏でも涼しさを感じられる高地の国、スイスの風景を感じられる作品、フランスに生まれフランスに暮らしたスイス人、オネゲルによる交響詩「夏の牧歌」を取り上げましょう。


オネゲルが滞在したヴェンゲンの風景
オネゲルが滞在したヴェンゲンの風景
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フランスに同化できないスイス人の誇り

   日本列島はすっかり梅雨が明けて、暑い夏がやってきました。まもなく甲子園での高校野球も始まります。その2日前から、リオのオリンピックもスタートし、こちらも連日熱い試合が繰り広げられるでしょうから、今年はひときわ「アツイ夏」になるかもしれません。しかし、真夏の日本で屋外を気軽に散歩すると、熱中症が心配です。

   日本列島から見るとはるかに北の国々であるヨーロッパ地域・・・・トルコの首都アンカラがちょうど秋田県、フランス最南端の街であるマルセイユは札幌より北、パリに至ってはサハリンのちょうど真ん中というのが緯度での比較です・・・は、夏も涼しい、というイメージでしたが、近年の温暖化と言われる現象のせいか、はたまたヒートアイランド現象が都市では起こっているのか、冷房化されたバスなどなかったパリの町中のバスも今や完全エアコン搭載となっています。東京だって30年ほど前は公共交通機関の冷房化率は100パーセントにほど遠かったわけですから、今ほど「耐えられない夏の暑さ」ではなかったような気がします。熱中症も「日射病」と言われていましたね。

   だんだん暑くなるヨーロッパですが、夏でも涼しい国があります。アルプスの国、スイスです。ヨーロッパの避暑地、といってよいスイスは国土のほとんどが山岳地帯で、夏でもさわやかな高原の気候が味わえます。

   「パシフィック231」で登場したアルチュール・オネゲルは、その時にも書きましたが、フランス生まれのスイス人でした。パリ音楽院で、作曲家ダリウス・ミヨーと出会い、親友となったため、マルチ芸術家ジャン・コクトーが1916年に仕掛けた「フランス6人組」という作曲家グループにミヨーと共に参加することになりましたが、常にスイス人としての誇りと、完全にフランスに同化できない自分に違和感も感じていたようです。


スイス20フラン札に印刷されているオネゲル

素晴らしい景観ユングフラウのふもとで作曲

   そんな彼は、「心の故郷」であり両親の故郷でもあるスイスのユングフラウのふもと、ヴェンゲンという町に1920年、28歳の時に滞在しました。その地で、交響詩「夏の牧歌」は完成されたのです。オネゲルに直接インスピレーションを与えたのはフランスの早熟の天才詩人、同じファーストネームを持つアルチュール・ランボーの散文詩「イリュミナシオン」の中の一節、「私は夏の曙を抱いた」という部分だとされています。しかし、現実の彼の前にはスイスアルプスの素晴らしい景観が広がっていたわけであり、作曲に大きな影響を与えていたと考えるのが自然ではないでしょうか。

   7分ほどの交響詩は3部に分かれていて、最初の部分は朝のアルプスの穏やかな情景を彷彿とさせ、中間部は素朴な舞曲風の旋律を持ち、最後はまた穏やかなアルプスの風が吹いてきて穏やかなうちに曲は終わります。暑苦しい夏にこそ聴きたい、爽やかな一曲です。

    「フランス6人組」としての活動に多少の不安を感じていた若きオネゲルでしたが、この曲がパリで初演されると評判となり、賞も受賞し、一流音楽家としての評価が固まりました。やはり、オネゲルには「スイス」が似合っていたのです。

本田聖嗣

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