かなりアスリート的傾向を持っていたベートーヴェンの「ベト散歩」から生まれた「田園」
いよいよ夏休みシーズンです。今年は4年に1度のスポーツの祭典、オリンピックが間もなく始まりますね。開催地リオ・デ・ジャネイロの治安や衛生問題、参加国ロシアのドーピング問題などで揺れていますが、始まってしまえば世界最高のアスリートたちが競技をする姿に、世界中が熱狂するのでしょう。
音楽家はどちらかというと、室内の職業ですし、およそアスリートたちとは対照的です。私の周囲を見回しても、体操が得意な作曲家や、運動と音楽とどちらの道に行こうか迷った演奏家、などという人はいませんし、歴史上の音楽家を見回しても、アスリートになれそうな人は見当たりません。
しかし、今日は意外なアスリート的人物が登場です。「楽聖」ベートーヴェンです。彼の第6交響曲、「田園」を取り上げたいと思います。
ベートーヴェンが歩いたかもしれないウィーン郊外の風景
興がのってトランス状態に
電気的に音を増幅する「アンプ」が登場する以前・・つまりクラシックで使われるほとんどの「アコースティック楽器」は、室内で演奏されることが想定されています。夏の音楽祭などでは、屋外でオーケストラが演奏したりすることもありますが、アコースティック楽器は屋外だと音が拡散してしまい、少し離れただけで、よく聴こえなくなります。したがって、そういった楽器を演奏する演奏家も、楽器を使って作曲する作曲家も、メインの仕事場は「室内」ということになり、あまり外で活動しつつ仕事をするイメージはありません。あくまでも、体調を整えるために運動する・・・のがせいぜいのように思えます。
ベートーヴェンは、楽想が頭の中にひらめくと、一種のトランス状態に入ってしまい、寝食を忘れて作曲に熱中した、といわれていますが、彼は自室でも作曲しましたが、もう一つ重要なフィールドがありました。それは、「屋外」・・・彼は散歩しながら作曲することを大変好んだのです。歩きながら作曲をし始め、興が乗ってはたまたトランス状態になってしまい、楽想が湧く限りどんどん歩き続けて、かなり遠方の町まで到達してしまい、警察官に不審者として保護され、「ウィーンからやって来た」と弁解しても、そのあまりの遠い距離に信用してもらえなかった・・というエピソードが残っています。
身体的に考えると、これは合理的な話で、人間は座っている時より、2本の足で立っている時のほうが、背骨の負担が少なく、かつ、歩いていると脳に適度な刺激が入り、活性化するといわれています。頭を使う作業をするときは、たとえ座っていても、姿勢を良くした方がよいそうですし、場所さえ許せば、歩きながら考えるのは、より効率が上がりそうです。ベートーヴェンは、経験的に、歩きながらのほうが脳が活性化して作曲がはかどることを知っていたのでしょう。彼は30歳ぐらいまで、ピアノではげしい即興演奏をするピアニストとして活動していましたし、体を動かすことが得意だったようです。
散歩するベートーヴェンはさまざまな絵画のモチーフになっている
スマホ歩きはせずに怖い顔をしてずかずかと
数々の革新的な曲を作りだして、クラシック音楽の転換点となったベートーヴェンですが、有名な第5交響曲・・・いわゆる「運命交響曲」の後に作ったのが、第6交響曲「田園」です。それまでは通常4楽章で1つの交響曲となるところ、この曲は5楽章からなる構成で、それだけでも斬新です。彼は自作に表題をつけることを好みませんでしたが、この曲は、「シンフォニア・パストレッラ」、つまり田園交響曲と全体的なタイトルがつけられ、各楽章にも「小川の辺の情景」とか「雷雨、嵐」などの表題が書き込まれています。都会ウィーンからひたすら歩き続けて田園や森林を歩き回り、休暇時には、田舎での生活を好んだベートーヴェンは、いつしか、その情景を自分なりに音楽にしようと企んだのです。
しかし、ここでもベートーヴェンは、安易に妥協はしませんでした。というのも、当時、ウィーンなどでは、風景を単純に音で描写する表題音楽が流行していたのです。ベートーヴェンはそういった「箱庭的音楽」を作るつもりは毛頭なく、この曲は、あくまで「絵画的描写ではなく、そのような景色の中の人間が感じる感情の表出としての音楽」だと断り書きをしています。「田園交響曲」は、散歩をしながら楽しく作った曲ではなく、常に音楽の新たな表現に挑戦するベートーヴェンが、「ファイティング・ポーズ」で歩きながら構想を練った曲だといえましょう。
創造性の塊のような人間だったベートーヴェンは、現代に暮らしていたら、スマホのゲーム画面などを見ながらぼーっと歩くことなどはせず、怖い顔をして、ひたすら作曲をしながらずかずかと歩いているかもしれませんね。
本田聖嗣