「社会保障なんか信用ならん」という人に読んでほしい本
◆「ちょっと気になる社会保障」(権丈善一著、勁草書房)
世界に例を見ない少子高齢化が進む中で、「年金は積立方式に移行すべき」などといった意見を目にすることもあるが、本書は、こうした提案には無理があること、また、現在の社会保障制度が様々な課題を抱えているものの、合理性があり、改革は今、ここにある制度から出発して考えていくべきことを、わかりやすく説明している。
本の帯には、「『社会保障というシステム』の根本からわかりやすく学び、教えるための入門書」とあるが、初学者のみならず、「社会保障なんか信用ならん」と思っている方に読んでいただきたい本である。
なぜ、社会保障をめぐる論議が荒んでしまったのか――
――制度や歴史の重要性を忘れた経済理論が横行したため
「社会保障で最も重要な課題は世代間格差」、「年金制度は、賦課方式(現役が高齢者に対して仕送りする仕組み)から積立方式(自分の老後のために積み立てておく仕組み)に抜本改革すべき」といった議論は、経済学者を中心になされることが多い。
著者は、こうした議論を「トンデモ社会保障論」と呼ぶ。このような実現可能性に乏しい議論が長年にわたり横行し、しかも、それが政争の具として利用されてきたために、本来、速やかに為すべき改革がなおざりになってしまったことを憂慮している。
著者によれば、日本において社会保障をめぐる論議が荒んでしまったのは、経済学者が、社会保障を考える上で重要となる制度や歴史を顧みることなく、机上の経済理論を引っ提げて社会保障分野に参入したためだという。
さらに、経済学者から様々なドラスティックな提案が飛び交う中で、政治の世界でも、安易に政争の具として、こうした提案が無批判に取り上げられ、利用されてしまったことが、社会保障への不信を募らせてしまったとする。
著者の言葉によれば、
「政争の過程では、現在の制度が国民の憎悪の対象として受け止められるように政治的に仕立て上げられていくわけですから、その時代に生きていたみなさんの意識の中には、社会保障へのいくつもの誤解、そうした誤解に基づく制度への憎しみが深く刻まれていった」
――というのだ。
積立方式なら世代間の不公平は生じないというのは「誤解」
本書では、年金制度を例にとり、世間に流布する以下のような意見が「誤解」であることを丁寧に説明している。
【誤解(1)】積立方式ならば、少子高齢化の影響を受けることなく世代間の不公平を回避できるはず。 ▼高齢者にとって重要なのは「お金」ではなく、その時々に必要な「生産物(物資やサービス)」(Output is Central)。いくら現役時代にお金を蓄えていても、少子高齢化が進めば、老後の時代には生産全体が減少し、高齢者に分配される生産物は減ってしまう。 ▼また、現役時代から資金を積み立てても、その貨幣価値は低下している可能性が高いし、高齢者割合が高い中では、高齢者が必要とする物資やサービスの相対価格は上昇してしまっている可能性もある。 【誤解(2)】賦課方式だと、負担した保険料ともらえる年金額との比率が世代間で大きく異なり、不公平である。 ▼年金は、そもそも、いくつまで生きるかわからないという「長生きリスク」や、長い老後生活の中で、インフレなど予期し得ない社会経済変動が生じることに備えるための「保険」。したがって、貯金や株・債券のように、投資額に対する将来の受取額を期待することは元来、馴染まない。 ▼加えて、公的年金が成熟化していく過程において、家族による私的扶養から社会的扶養へと徐々に転換していく経過を踏まえれば、負担した保険料ともらえる年金額の世代間格差が生じることはある意味で当然のこと。
世代間格差を憂うべきは、財政赤字(公費の財源不足)の問題
本書では、現行の社会保障制度において、保険料の負担と給付の倍率に関する世代間格差は、本質的な問題ではないとしているが、これらの制度に投入されている公費が赤字国債で賄われていることは、「大変な問題」だと憂慮している。
2016年度の国の一般会計歳出総額は97兆円。これに対して、税収は58兆円にすぎず、不足分の28兆円を赤字国債で賄っている。その主因が社会保障であり(社会保障関係費は歳出全体の約3分の1に当たる32兆円)、財政の持続可能性を考える上で最大の課題となっている。
赤字国債の発行は、現在の世代が受益している社会保障に関する一部の負担を後世代に先送りするものであり、放置できない問題である。実際、国民が社会保障に対して感じている漠然とした不安は、年々拡大する社会保障によって、財政赤字が増えているにもかかわらず、その財源調達の目途がなかなか立たないことにあるといってよいだろう。
消費税率の引き上げは、まさにこうした財政の持続可能性を確保するための措置であったが、現時点では10%への引上げを前にして、足踏みをしている。
社会保障を担当する者として懸念することは、こうした財源調達がしっかりなされないと、そのとばっちりが、社会保障を抑制すべきといった一方的な議論へと発展していくことだ。
本書でも、繰り返し、この税財源を調達できていない問題を、現行の社会保障制度それ自体に問題がある(賦課方式であるがゆえに世代間の不公平が生じる)かのような議論に結びつけてはならないと釘を刺している。
世界最高水準の高齢化国でありながら、先進諸国と比べて、税や社会保険料の負担(国民負担率)が低い日本の現状を考えると、今、やるべきことは、必要な税負担について、あらゆる知恵をしぼり、国民に理解と納得を求めて、1日にも早く実現していくことだろう。
著者曰く、
「社会保障を守り、国民の生活を守るために、財務省の中で税を取り扱う主税局ガンバレ!」
愚説に惑わされて、やらなければならない改革を先送りするな
本書では、前述のように、トンデモ社会保障論に対する具体的な反論のほか、著者が長年、大学の授業を続ける中で洗練されてきたシラバスに基づき、「社会保障は何のため」、「社会保障は誰のため」など社会保障に関するオーソドックスで基本的な考え方が、具体的でわかりやすく展開されている。
そして、最終章において、今、進められるべき改革が語られる。
「日本の社会保障にとって今必要なことは、愚説に惑わされて不必要に動揺し、本当にやらなければならない改革を先送りしないことです。この当たり前のことが日本では長い間おかしなことになっていました。それもそのはずで、この10年間、日本の社会保障はこれ以上にないほどに政争の具にされてきたからです」
具体的には、主要3分野について、それぞれ以下のメニューが示されている。
【子育て支援】子育て費用の社会化を進めること。具体的には未だ目途の立っていない消費税以外の財源(0.3兆円)を確保し、保育園等の職員配置を充実すること。 【医療・介護の一体改革】2025年に向けて、医療と介護の提供体制の改革を進める。とりわけ「地域包括ケア」を構築していくこと。 【年金改革】公的年金の「防貧機能の強化」。具体的には(1)手厚い給付が受けられる被用者年金(厚生年金)をできる限り多くの方に適用すること(2)今の若者が将来年金を受ける際の給付水準の底上げが図られるよう、デフレ下でも現在の高齢者の年金額にマクロ経済スライド(労働力の減少分と平均寿命の延び分を引き下げる仕組み)を適用すること、そして(3)基礎年金の保険料納付期間を現在の40年から45年に延ばすこと。
いずれのメニューも、2013年8月にまとめられた社会保障制度改革国民会議の報告書の延長線上にあるものだ。そして多くの関係者がこうした改革の実現を望んでいる。
一方、昨今の消費税率の引上げ再延期の動きの中で、その基盤となっていた社会保障・税一体改革に関する民自公の3党合意が危うくなっており、今後の社会保障改革の行方が見通しづらくなっていることが気がかりである。
著者自身があとがきで言及しているように、この10年間の社会保障をめぐる政治過程を振り返ると、「社会保障という、現代の政府が行っている最大プロジェクトの役割と意義を理解してもらうためには、なかなか前途は多難な状況」ではある。
しかし、「それでもやらなければならないんですね。日本という国が、生きづらい国になるのを避けるため、いや、できれば今よりももっと住みやすいところにしていくためには、社会保障を正確に理解してもらい、変えるべきところは着実に変えていくことに、みなさんの協力がどうしても必要となるからです」
社会保障に対する理解が進み、少子高齢化という未曽有の状況下において、必要な改革が着実に実施されていく環境が整っていくことを期待したい。
JOJO(厚生労働省)