"アメリカ発"の蒸気機関車が疾走 熱烈鉄道ファン、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」第4楽章

   先週登場したフランス生まれのスイスの作曲家、オネゲルの「パシフィック231」は、蒸気機関車の動きを音楽で動的にとらえた音楽ですが、今日のおすすめの1曲も、よく聞けば蒸気機関車が動き出し、疾走する姿が目に浮かびます。なぜなら、作曲者がオネゲルを上回る熱烈な鉄道ファン、まさに最近はやりの「鉄オタ」である、チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークだからです。今日は、クラシックの定番の名曲として知られている、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の最終第4楽章に焦点を当てましょう。

ドヴォルザークの視線の先にあるのは故郷か鉄道か
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生家のすぐ裏を生後数年に鉄道が走る

   音楽家はもともと旅の多い職業なので、交通機関を利用する機会も多く、近代になってからは、蒸気船や蒸気機関車や黎明期の自動車というものに興味を持つ人も次々に現れています。しかし、その中でも、ドヴォルザークの鉄道への偏愛ぶりはとびぬけており、いくつものエピソードで知られています。

   彼は1841年、プラハの北約30キロのネラホゼヴェズという町に生まれていますが、現在はチェコに含まれるこの地域は、当時はオーストリア帝国の一部で、オーストリア帝国はプロイセンなどと「ドイツ連邦」を形成していました。鉄道発祥の国はイギリスですが、ドイツはいち早くこの交通機関が大量の兵員や武器の輸送に向いていることに気づき、ドイツ連邦内で鉄道は急速な発展を見せたのです。ドヴォルザークの生家のすぐ裏には彼の生後数年で鉄道が走ることになり、現在保存されているその家はネラホセヴェズの駅のすぐそばにあります。その原体験が彼に鉄道ファンの道を歩ませたのかもしれません。

○○鉄のほぼすべてを網羅するほどのモーレツさ

   彼の鉄道好きのエピソードは枚挙にいとまがありません。いわく、プラハに住んでいる時、作曲に行き詰ると駅に出かけてゆき、列車を眺めたり、車掌や駅員と話してくると気分転換になり、また気分一新して作曲に取り掛かったとか、鉄道関係者ではないのに、遅延した列車の乗客に駅で謝罪していたとか、乗車している列車の音がいつもと違うことに気づいて車掌に連絡し、故障による大事故を未然に防いだ...というような普通の鉄道ファン(?)的なものはすべて当たり前です。現代日本では鉄道ファンを分類し、乗車目的とする「乗り鉄」、列車写真を趣味とする「撮り鉄」、鉄道の音を収集する「録り鉄」、車両を研究する「車両鉄」駅が好きな「駅鉄」、時刻表が好きな「時刻表鉄」などとそれぞれを呼んだりしますが、ドヴォルザークはほんとのすべてを網羅しているといってもよいモーレツな鉄道ファンでした。

   彼の趣味は現代の鉄オタも真っ青というぐらい突き詰められてゆきます。自宅や職場の近くの駅の時刻表はかたっぱしから覚えてしまい、その運行と違う列車があれば、車掌や運転士に質問したといいます。新大陸アメリカのニューヨークの音楽院院長職を受けたのも、発展著しいアメリカの鉄道を間近で見られるからという動機も入っていたといわれます。実際、ニューヨークに居を構えてから、毎日、自宅からすれば音楽院とは正反対の方向のセントラル駅にわざわざ出かけてゆき、列車が通常運行されているかを確かめてから、音楽院に出勤していました。そればかりではなく、自分が行けないときには、弟子で、娘の婚約者でもあったスークを、駅に派遣して、蒸気機関車の車両番号を見てくるように...と言いつけたものの、鉄道にさっぱり興味のないスークは機関車ではなく炭水車の番号を覚えてきてしまい、「それは違う!」と激怒したドヴォルザークは、「こんな間抜けな男と結婚して大丈夫か?!」とあらぬ方向に怒りをぶつけた...と、鉄オタの鏡ともいうべきモーレツエピソードも残しています。

音楽院院長として新大陸アメリカに招聘される

   彼がニューヨークに招かれたのは、「アメリカの音楽」を作ってもらおうという招聘元の意向がありました。故郷チェコの音楽を見事に作り上げた人物としてドヴォルザークは既に高く評価されていたからです。彼が、アメリカで書き上げた交響曲第9番には、「新世界より」という題名が付いています。これは新大陸アメリカから、故郷ボヘミアへ、という意味があり、アメリカで触れた黒人音楽などが故郷の民謡に通じるものがある、と感じて作られたといわれています。決して、「新世界」だけの音楽ではないのです。

   彼の鉄道趣味も、チェコからニューヨークに移動しても不変でした。交響曲第9番の最終4楽章は、弦楽器のゆっくりした力強いフレーズから始まり、金管楽器が高らかはいってきますが、私にはこれが蒸気機関車の動き――ちょうどオネゲルの「パシフィック231」と同じような――に聴こえます。中間部ではボヘミアの民謡を思わせるのどかな旋律もありますが、これは故郷を疾走する列車のイメージに重なります。ニューヨークを出発した大陸横断鉄道は、ドヴォルザークの心の中で海を渡り、ボヘミアの大地を駆け巡っているかのようです。

   「列車が自分のものになるなら、今まで作曲した全作品と交換してもよい」というぐらい鉄道趣味に没頭したドヴォルザークの、鉄道愛と、故郷への愛が織り込まれたこの交響曲は、クラシック音楽の代表曲として、全世界の人々に広く愛されています。

本田聖嗣

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