フランス生まれのスイス人..."鉄オタ"オネゲルの機関車を描いた「パシフィック231」
先週とりあげた、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」の脚本を書いたスイスの作家、ラミュはスイスの現在の200スイスフラン紙幣に肖像画が載っていますが、今日取り上げる作曲家は、現在の20スイスフラン紙幣に印刷されている人です。名前は、アルチュール・オネゲル、1892年生まれ、1955年に亡くなっています。スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、レートロマンシュ語と4つの言葉が公用語ですが、彼の名は「アルチュール」のファーストネームが示す通り、フランス語読みです。それというのも、彼が生まれたのはスイスのフランス語圏、いやスイスですらなく、ずばりフランスだからです。スイスからはずいぶんと遠い、ノルマンディー地方の港町、ル・アーヴルが彼の出生地です。
ではなぜ、スイスのお札に載っているかというと、彼の両親がスイス人だからなのです。なので、正確に言うと、「フランス生まれのスイス人」というべきでしょう。今日は彼の人気作品「パシフィック231」の登場です。
サイレント映画「La Roue」の音楽として企画された作品
ノルマンディー生まれですが、首都パリのパリ音楽院に入学して勉強します。同級生に、作曲家のダリウス・ミヨーがいました。彼とは親しい友人になったので、後に、ジャン・コクトーが「ロシア5人組」にヒントを得て仕掛けたフランスの音楽家のグループ、「フランス6人組」のメンバーに一緒になることになりました。パリ中心部の生まれのプーランクなどという「いかにもフランス」の香りを持ったメンバーからすれば、オネゲルはスイス人で、作風も、フランス的な中にもドイツ的な香りがあり、オネゲル自身が「僕の代わりにジャック・イベールがメンバーでもよかったのじゃないか?」と語っているぐらいでしたが、音楽的思想や傾向の同じメンバーというよりも、「仲良くご飯を食べて議論するメンバー」ぐらいだった「6人組」は、ミヨーと親友だったオネゲルにとって居心地がよかったようです。
オネゲルは鉄道が好きでした。他の人が馬や女性を気に入るように、私は鉄道が好きなんだ...とその趣味を彼は隠すところなく喧伝し、あろうことか、彼が「交響的楽章」と名付けた一連の作品の第1番に、蒸気機関車の名前を付けてしまったのです。もともとサイレント映画「La Roue」(邦題「鉄路の白薔薇」、英語題「The Wheel」)の音楽として企画された作品でしたが、現在ではほぼ音楽単独で演奏されます。音楽としての作品名は、「パシフィック231」。蒸気機関車で、軸配置が横から見て、先軸の車輪の数が2つ、大きな動輪が3つ、運転室のある後軸の車輪が1つの形式の車両を表しており、アメリカではこれが「パシフィック」形式と呼ばれます。日本の蒸気機関車でも人気の高いC57形などが2-3-1のパシフィック形式です。
オネゲルは、300トンもの塊が蒸気をふきあげてだんだんと加速し、驀進する様子を、音楽で表現しました。彼自身は、これは描写音楽ではない、純粋に、大きな機械が動くダイナミックな様子を音楽で描いただけだ、と言い残していますが、曲を聴くと明らかに蒸気機関車が目の前を動いてゆくような迫力が味わえます。確かに、フランス的センスからすると、どこか「骨太な」香りがするこの曲は、オネゲルの代表曲となり、親しまれているほか、プロコフィエフなど、近代の工業化された情景に美を見出す作曲家などにも、大きな影響を与えたのです。
本田聖嗣