3枚の粘土板に残された"最古のレシピ" 「食」にこだわる仏歴史学者が読み解き再現した"高級料理"
古代メソポタミアと言えば、バビロン王朝のハンムラビ法典の一節、「目には目を、歯には歯を」が有名だ。
この一見野蛮に映る規定は、実は過剰な報復合戦を防ぐためのものとされる。
血で血を洗う現代中東情勢を思うと、そうした抑制が外れていることは残念だが、それだけにメソポタミア文明の洗練度合いが際立つ。
その洗練された文明のもとで、何が料理され、食べられていたのか。
1980年代、米イェール大学に保管されていた紀元前1600年頃の粘土板のうち3枚が「レシピ集」と判明した。中華文明でさえ、これほど古いレシピは現存しないとされる。
本書はそのレシピを基に、メソポタミア文明論を展開したものだ。
歴史の闇に光を照らす
著者は「メソポタミアの料理の全体像を、その独自性が浮上するような形でつかみ取ろう」と試みる。
だが如何せん、原典はたった3枚の粘土板に刻まれた楔形文字である。著者自身も「これは限りなく続く長編映画の限られた数コマに等しい」とする。そこで著者は、往時の神話なども用いて、アッカド学の大家たる歴史学者らしい分析を行い、往時の料理を再現していく。
対象となる年代は紀元前4000年から紀元前400年代(あるいはより後代)と幅広い。原資料の乏しさから、章立ては年代順ではなく、「かまど料理用具」「したごしらえ」「冷たい料理」「飲み物」「死者の食卓」等々とされる。これが奏功し、メソポタミア史に暗い評者にも読みやすかった。
散文的な部分もあるが、古代の叙事詩の数行など、わずかな情報から謎解きを行っていく過程には引き込まれる。
庶民の食事はどのようなものであったか
庶民の食事は何の資料も残っていないという。だが、近世に伝わるもっとも原始的な調理方法として、小麦粉を水でこね平たく丸めたものを、おき火に埋めて焼き上げたものなどが紹介される。また、肉類の直火焼きもあったことと推定される。
こうした乏しい端緒が、著者の該博なる知識によってさまざまに展開していくのが本書の魅力だ。
一例を挙げよう。著者は、庶民の食事について述べた後、エッラ叙事詩なるものを引く。その一節は「職業軍人の口を借りて、一介の兵士の誇り高く禁欲的な生活を称賛している」という。勇壮かつ野趣あふれる詩(部分)を転記しよう。
「真の男にとって、戦いに行くのは祭りのようなもの! 贅沢な町のパンは、灰で焼いた粗末なパン(カマーン・パン)に値しない! 甘味な高級ビールは、皮の水筒から飲む水に値しない!」
高級料理はどうか
3枚の粘土板のレシピは40に上る。本書はその全訳を示すが、いずれも高級料理とされる。肉類を脂や香味材料とともに煮込む料理が多い。職人の伝承であるため、火を通す時間、食材の分量や入れる順序など経験知に委ねられる部分は全て省略され、極めて簡素な記述となっている(末尾に具体例を挙げる)。
盛り付けの例が面白い。煮込んだ肉を取り出し、皿に伸ばして焼いたパンの上に載せ、小さなパンを散らした上で、上から別のパンで蓋をする。パン型も魚の形など多種多様のようで、なかなかに凝っている。
供される場面は、神殿での神への捧げものや、王族や貴族の宴会であった。瞠目させられるのはその量だ。
別の粘土板から「『1年を通じて毎日、四回の食事において』神々にささげる肉類の小計」が引用されている。
「肥った無傷の一等級の牡羊で二年間麦を食べさせたもの二一匹、乳を飲ませた特別飼育の牡羊四匹、乳を飲ませない二等級の牡羊三五匹、大型牡牛二頭、乳を飲ませた子牛一頭、子羊八匹、マッラトゥ鳥(?)三〇羽、雉(?)三〇羽、粉を練った飼料で育てたガチョウ三羽、小麦粉飼料で育てたアヒル五羽、二等級のアヒル三羽、おおやまね(?)四匹、駝鳥の卵三個、アヒルの卵三個...。」
特別の一つの神に対するものではない。主要なものだけで4神ある複数の神々に、「国中の神殿で」「それぞれの神に」「毎日」捧げられた量だというのである! にわかには信じがたい。チグリス・ユーフラテス両大河の往時の豊饒さは想像以上である。加えて、「神々」の背後にある神官らの組織がいかに巨大かつ強力であったかも想像される。
食文化の奥行き
訳者によれば、本書は著者の母国フランスで一般向けに出版され「直後から好評を博した」という。また、著者は「食物を摂る」ことと「食べること」を区別する。曰く「前者は人の手の介入の外に実りを結んだ生のままの食物で、人はただこれを摂取するばかりだが、後者は人が按配し念入りに作り上げたもので、人間に固有の文明生活の一端...である」。端的に言えば「エサ」と「食事」の違いと言うべきか。
他国の古代の「食」に人々が強い関心を寄せ、「食べること」に特別の意義を見出すフランス人の姿勢を見ると、我が国の食文化を考えさせられる。
日本の普段の暮らしでは、コンビニ飯に違和感がなくなってしまった。国内を旅行して、地元の漬物でも買うかと土産物屋に立ち寄れば、観光振興とは名ばかり、「販売者」こそ地元だが「製造者」は明らかに他県と知れるパック商品ばかりが並ぶ。ミシュランガイドの東京の星の数を誇るのも良いが、ミシュランはそもそもフランスの会社である。
3600年前のメソポタミア人が食べていたのは、たとえば以下のような煮込み料理だという。現代日本の食と単純な比較はむろん出来ないが、読者諸賢はどのような感想をお持ちになるだろうか。
「鹿肉の煮込み。これには(ほかの)肉は必要ない。お前は水を用意する。そこに脂肪を加える。ねなし葛を好みで、塩は適宜、砕いた「粒団子(?)」[不明]、玉葱とサミドゥ、クミン(?)、コリアンダー(?)、ポロネギ、にんにく、ズルム[不明]を加える。お前は用意した肉を血に浸した後、以上すべてを胴張り大鍋に入れる。」
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)