宮廷楽長・ハイドンの絶妙な休暇願いだった交響曲第45番「告別」
クラシックの曲の中にはニックネームを持つ作品が少なくなく、その名で親しまれている曲も多いのですが、今日取り上げる曲は「告別」という愛称を持っています。「告別」と呼ばれる曲は、ベートーヴェンのピアノソナタにも、ショパンの練習曲にもありますが、今日取り上げるのは、古典派の作曲家、ハイドンの交響曲です。そして、「告別」「別れ」というと、悲しいイメージが付きまといますが、ハイドンの「告別」は、むしろ、楽しいエピソードが隠されています。パパ・ハイドンと親しみを込めて呼ばれた、彼らしい作品なのです。
モーツアルトの妻以上の"悪妻"
現代における「クラシック音楽の作曲家」は、こだわりの芸術家で、妥協を知らず、常に音楽のことを考えていて、少し偏屈...というようなイメージが出来上がっています。だからこそ日本では、イメージ先行の「偽装作曲家」のような騒動がおこりましたし、海外でも、クラシック作曲家のイメージを、「孤高の」ものに演出する、ということはままあります。
しかし、これらの「気難しい芸術家」イメージは、おそらく源流がベートーヴェンの言動にあり、その後の作曲家たちも、ベートーヴェンの巨大な足跡を意識したところから出来上がったイメージともいえるでしょう。ベートーヴェン以前の作曲家は、気難しくては成り立たなかったのです。職業作曲家という人たちは、ほぼすべてが王族・貴族のいる宮廷か、教会の使用人であって、作品や演奏を有料で売って生活する「フリーの作曲家」は、市民社会が未成熟だったため、存在しえなかったからです。
作曲家はすべて文字通り「宮仕え」だったわけです。当然、現代の会社組織の中でもそうであるように、出世競争や、中間管理職の苦労があったのです。
古典派の中で、モーツアルトと並び称される素晴らしい作品を数多く残したハイドンは、大変な苦労人でした。音楽に理解のある家庭環境で幼少期から英才教育を受けたモーツアルトと違い、ハイドンの実家は、職人の家系でした。音楽にはまったく関係ない環境から、帝都ウィーンに出て少年合唱団に入り、声変わりで退団したあとは、アルバイトをしながら音楽の勉強を続ける...と「苦学生」のようなキャリアを積んでいます。さらに、モーツアルトの妻は悪妻として歴史に名を残していますが、彼女は音楽家の家系の出身で、まだ音楽に理解がありましたが、ハイドンの妻は、ハイドンの楽譜を新聞紙代わりに包装に使う、という行動をしたりする、音楽をあまり理解しない人でした。
"ブラック"な雇い主と部下との間で板挟みに
あらゆる困難にもめげず、ハイドンは、ハンガリー系ウィーンの貴族、エステルハージー家の宮廷楽長にまで上り詰めます。おそらく、彼は作曲能力や指揮能力の高さだけでなく、苦労人だったために、周囲との人間関係の良好さも評価されたのではないのでしょうか。
宮廷楽長となると、部下に楽団員を従え、雇い主の領主に直接面会することのできる、いわば「中間管理職」です。ハイドンの力量が試される時が来ました。
エステルハージー公はハンガリー系の貴族、と書きましたが、夏季には、本拠地オーストリアのアイゼンシュタットを離れ、40キロほど離れたハンガリーの離宮エステルハーザで暮らすのがお気に入りの休暇でした。もちろんお抱えの楽団員も全員引き連れています。ある年―おそらく1772年だと言われていますが―公は突然離宮での滞在を2か月延長する決定をします。あまりにも長い滞在のために、楽団員は妻をアイゼンシュタットに送り出し、「全員単身赴任」となりました。次第に不満が蓄積しました。「早く帰りたい」―ハイドンは部下たちの心情も理解できますし、一方で、離宮を気に入っているからこそ滞在を伸ばしたご主人に単刀直入に談判すると、自分の首もあやういかもしれません。
一人、また一人と演奏者が去る第4楽章
そこで、ハイドンはこの交響曲を作曲したのです。交響曲 第45番「告別」は、通常の4楽章形式を持ち、演奏時間も約25分と立派な作品ですが、一つだけ顕著な特徴がありました。最終4楽章は、通常のスタイルの通り、速いテンポで激しく始まるのですが、途中で曲が終了したかのような和音が鳴り響いた後、突如スローテンポの3拍子となります。そして、転調をしつつ、演奏者が一人、また一人、と演奏を終えて舞台を離れてゆくのです。退席するときに、自分の席のろうそくを吹き消した...という電気がない時代のエピソードも残っています。最後はついにヴァイオリン2人となり、静かに曲は終わります。
古典派の交響曲としては大変異例なこの4楽章を聴いたニコラウス・エステルハージー公は、さぞ驚いたはずですが、同時にハイドンの真意を理解し、楽団員に休暇を指示したといいます。交響曲に仕掛けられたこの工夫も見事ですが、ハイドンに人望がなければ、公は休暇を認めなかったでしょう。部下のために休暇をそれとなく申請したわけですが、表だってお願いしたわけではないので、現代風に言えば「ブラック領主」と言われかねなかったニコラウス公の顔も立てたことになります。ハイドンは、公が死去するまで、宮廷楽長として彼に仕えることになります。
新しいことが多く、何かと気を遣う4月が終わり、大型連休がやってくる季節です。どれをとってもリラックスできるハイドン作品ですが、「告別」を聴いて、休暇に思いをはせてはいかがでしょうか?
本田聖嗣