在宅介護の「現実」から「政策」まで、丸ごと一冊で
介護の世界では「地域包括ケア」がブームである。各地でセミナーが開かれ、多くの医療・介護関係者が殺到している。この「地域包括ケア」、耳慣れない言葉かもしれないが、団塊の世代が後期高齢者となる2025年までの間に、介護が必要となっても、できるだけ住み慣れた自宅で最期まで暮らしていけるよう、在宅の医療や介護の体制を整備しようという取組みを指す。
本書は、そんな風潮にあって、介護現場の声を拾いながら、「そう甘いもんじゃない」と在宅介護の現実を紹介するとともに、こうした状況下で、望ましい在宅介護が普及し、何とか施設に頼らずに在宅で暮らしていける条件とは何かについて明らかにした一冊だ。
著者は、介護現場での10年間の経験を経て、福祉系大学で介護人材の養成に携わっている研究者。厚生労働省の社会保障審議会介護保険部会で政策形成に参画した経験を持つ。
家族介護の限界―家族介護力の低下が在宅介護を困難に―
現在、介護保険において要介護(要支援)認定を受けている高齢者は約18%、つまり、高齢者の6人に1人は要介護(要支援)状態にある。自分が要介護者となるか、家族がそうなるかは別として、今や介護問題を、生涯、無縁だと断言できる国民はいない状況である。
実際、在宅介護では家族が大きな役割を果たしている。その数、約680万人。意外かもしれないが、このうち男性は4割に及んでいる。そして1年間に約10万人が介護を理由に離職を余儀なくされている。
「介護離職」を決意してまで、親の介護に専念する者がいる一方で、著者曰く、親の介護を理由に仕事を辞めて親の年金を頼りにする家族(パラサイトシングル介護者)も増えているという。ひどいケースによってはネグレクト(介護放棄)状態であることもままある。見かねて施設入所を勧めると、子どもが反対するという。施設入所すれば年金が入所費用となり、子ども自身の生活が難しくなるからだ。在宅介護における家族関係は複雑で難しい。
2000年に創設された介護保険によって、ホームヘルプサービスやデイサービス等の社会資源が整備され、確かに「20年前の在宅介護に縛られた家族の様相とは少し異なっている」。しかし、著者が指摘するように、この間、独居や老夫婦のみ世帯の増加など家族の変容は著しく、家族の介護力は大きく低下した。
著者の現状認識では、こうした家族介護力の低下を補うためにも、今以上に社会資源を整え、給付を改善する必要があるという。他方、増え続ける社会保障費への風当たりや財源不足を指摘する論調が強まる中で、政策の方向性としては、介護サービスを充実する可能性は低く、むしろ、介護保険料の引上げやサービス抑制など厳しい介護施策の方が現実味を帯びてきていると危ぶむ。
在宅介護を可能とする条件―「在宅」と「施設」を車の両輪として―
未だに「介護」といえば、「施設」がイメージされやすく、最期は「施設で」と割り切る高齢者が多いという。むしろ、介護保険の創設によって、保険料を納めているから施設に入れるだろうといった意識が強くなり、「施設志向」が高まっている傾向は否めないとのこと。「在宅介護は理想だが、十分な在宅サービスが享受できない以上、家族に迷惑をかけてしまうので、寝たきりになったら施設に入りたい」という思いだそうだ。
しかし、「可能ならば在宅で」というのが、多くの高齢者自身の本音である。
著者は、繰り返し、「在宅」か「施設」といった二分法的な考え方ではなく、「在宅介護」と「施設介護」を相互に組み合わさることで、「在宅介護」が普及し多くの要介護高齢者が住み慣れた地域や自宅で最期を迎えることができると指摘する。
実際、親の介護を在宅で担うか、施設に入所させるかを迷っている家族の中には、「いつでも施設で受け入れてもらえる環境があれば、とりあえず在宅で介護をやってみよう」と考える者が多いという。独居高齢者も、何かあればすぐに施設に入れるといった安心感があれば「とりあえずヘルパーさんを頼んで在宅で介護生活を送る」という方もいる。
つまり、在宅介護を受ける高齢者が万一の際に受け入れ可能な状況をつくることが重要であり、著者は、
①大都市部にもっと多くのショートステイ施設を整備すべき
②「施設」に在宅サービス部門の併設を義務付け、一体的なサービス提供を促すべき
――と主張する。
ボランティア活用や自費による介護サービスの利用―過度の期待はできない―
最近、「買い物」「電球の取り換え」「簡単な掃除」などの生活支援サービスを地域の主婦や退職高齢者などが担う有償ボランティアなどの取組みが注目されている。
著者曰く、このような有償ボランティアはもっと活性化させていくべきだが、同時に、介護保険サービスの代替にはならないことに留意すべきとする。これらはあくまでも補完的な位置づけであり公的サービスという基盤が整備されてはじめて機能するというのだ。
民生委員の未充足問題をはじめ、「互助」によるインフォーマル・サービスの担い手不足は全国的な傾向である。実際、これまでボランティアの担い手であった子育て後の専業主婦や退職高齢者は、今日では、女性や高齢者の就労率の上昇により、地域からどんどん姿を消しつつある。「あまり過度の期待はできない」のだ。
また、都市部を中心に、自費で利用できる家政婦やホームヘルプサービスを利用する者も増えているという。介護保険で認められる部分は介護保険を活用し、認められない部分のみ自費サービスを使う「混合介護」形態での利用もみられる。
著者は、こうした現実について、以下の3つの課題を指摘する。
①要介護高齢者の経済力によって利用できるサービスに格差が生じる。
②地域格差(富裕層の多い都市部と地方での格差)が生じる。
③自費による介護サービスに対しては自治体の関与がなく、消費者保護的な措置が採れない。
現段階で、介護保険の利用限度額を超えている事例は重度者でも6%程度であり、こうした自費による利用は一般的ではないが、①や②のような格差の問題は社会保障の琴線に触れるだけに悩ましい課題だ。
介護人材の不足が最も深刻―准看護師と介護福祉士の資格の統合―
失業率が3%台と史上最低水準となっている今日、介護分野の有効求人倍率は2倍を大きく超えている。しかも、介護人材の不足は好況時に限った話ではなく、不況時といえども介護分野の有効求人倍率が1倍を下回ったことは未だかつてない。
介護現場実習を終えた学生の一部には、「実習では高齢者に勇気づけられ、福祉の魅力を非常に再認識させられた。しかし、同時に実習先の職員に話を聞き、将来的な展望や昇給面の現実を垣間見ることで、自分が30歳を過ぎて、結婚・子育てを考えると不安だ」として、福祉系への就職を躊躇する者が見られるという。
介護福祉士の有資格者(約109万人)のうち実際の介護現場で働いているのは約6割(約63万人)。その基礎的資格である介護職員初任者研修終了者(約380万人)のうち、現場で従事している者は1割未満(約30万人)にすぎない。つまり、多くが潜在介護士となってしまっているのだ。
こうした介護人材の不足問題に関して、著者は、大幅な賃金水準の改善とともに、「准看護師」を廃止して、介護福祉士と統合した「(仮名)療養介護福祉士」という新たな資格の創設を提案している。「胃ろう」「喀痰吸引」などの医療行為も行える介護専門職を制度化することによって、現場で不足している医療ニーズへの対応が格段に向上するほか、給与面でも、准看護師並みになれば、年収ベースで約70万円~100万円のアップが見込める。これにより、目途の立たない介護スタッフの待遇改善問題も前進するというのだ。
興味深い提案だと思う。医療や福祉の職種は、この30年余りの間に次々と制度化された。こうした動きは、それぞれの技術の専門性を尊重する観点から生じたものだが、同時に、細分化が進みすぎた感もある。一人の人間の40年近くに及ぶ職業人生という視点からみると、同一資格で職業人生を全うするのも一つの生き方だが、医療・介護の領域の中で、隣接する職種の仕事へと転じていく選択肢も意義あるものと思う。
著者が提案する資格の統合という方法以外にも、一定の実務経験を有する者が隣接領域の資格を短期間の実習で取得可能とするという方法もある(従来、理容師と美容師はそれぞれの養成校に通わないと他方の資格取得ができなかったが、近々、実習を受けることで資格取得が可能となる見込み)。
介護分野に限らず、医療・福祉の分野では人材不足が深刻である。あらゆる政策を組み合わせ、早急に、多数の「潜在○○士」が生じている状況は無くしていかなければならないと思う。
加えて、本書では触れられていないが、今後、少子化により生産年齢人口が急減していくことを考えると、高齢化のピーク(2040年頃)を視野に入れて、介護現場が介護ロボットなどイノベーションを通じて省力化が図られ、一新されるような状況をつくり出していかなくてはならないであろう。
25年前、私達の生活には、スマートフォンはおろか、パソコンも普及していなかった。しかし、今ではこれらを日常的に使いこなしている。介護現場でもタブレットをはじめ様々なICTが活用されている(そもそも25年前、介護保険も無かった!)。
今から25年後、きっと現在とは全く違う介護現場となっているに違いない。そんな将来を見据えて、中長期の視点から、柔軟な発想で、解決策を考えていかなければならないと思う。
JOJO(厚生労働省)