古代帝国の栄光描いた交響詩、レスピーギ「ローマの噴水」 イタリアの音楽めぐるプライドのよりどころ
イタリアは、クラシック音楽の発祥の地です。教会の力が圧倒的だった中世から、ギリシア・ローマ時代の文化を復興させるという旗印のもと「ルネッサンス」時代の流れを作ったのはイタリアでした。その中で、世俗音楽のオペラという形が出来上がってきたのはモンテヴェルディの「オルフェオ」の回で書きましたが、他方、宗教音楽、ということにおいてもカトリックの総本山はバチカン――すなわち都市ではローマ――ですから、これも本場といってよいわけです。
イタリアという土地と背景がなければ、クラシック音楽は生まれなかった、といってよいぐらいなのです。ルネッサンスからバロック、古典派、そしてロマン派の時代、19世紀半ばぐらいまで、次第に北のほうのドイツやフランスの音楽家も活躍するようになってきたとはいえ、いつも「音楽の一流はイタリア」と考えられていたために、ヨーロッパの各宮廷はこぞってイタリア人音楽家を雇い入れましたし、また現地語ではないイタリア語のオペラだけを専門に上演する劇場、というような施設も欧州各地に存在しました。
楽器の面においても、ヴァイオリン製作の聖地とされるのは、イタリアのクレモナですし、チェンバロを発展させてピアノという近代楽器を発明したのも、イタリア人です。
クラシック音楽の発祥の地なのに...ゆかりの名曲、不当に少なく
ことほど左様に、イタリアはクラシック音楽において重要な土地のはずなのですが、なぜか、イタリアを前面に押し出した――つまり題材として扱った――クラシック曲は少ないのです。もちろん、イタリアオペラの中には、地元であるイタリアを舞台にしたものもありますし、先週のベルリオーズの「ローマの謝肉祭」のように、イタリアに留学に来た外国人によって書かれたものはあります。しかし、全体として見た場合、イタリアの音楽に貢献した割合から考えると、イタリアそのものを扱った曲は、不当に少ないといわざるを得ません。
19世紀後半の1879年、イタリアのボローニャに生まれた作曲家、オットリーノ・レスピーギは、若いころロシアなどで勉強しましたが、イタリアに戻ってくると、1913年、首都ローマの音楽院の教授になります。そこで、彼が情熱を燃やしたのは、イタリア、特に永遠の都の異名をもつ、ローマの誇り高き歴史を音楽にすることでした。古代ローマ帝国という巨大帝国の首都であった時代から、中世、ルネッサンス、それぞれの時代の特徴的なローマの情景や歴史を織り込んだ交響詩を作曲することにしたのです。
トスカニーニによる再演で評判に
古代ローマ帝国は、建築に秀でており、今も残る長距離の水道を整備したことで有名ですが、彼のローマに関する交響詩の第1作は、「ローマの噴水」という題名になりました。
多くの交響曲と同じ4つの楽章を持ち、それぞれ夜明けから黄昏までの時間帯を当てはめ、ローマやその周辺に位置する噴水や泉の情景を見事なオーケストレーションで描きました。1917年の初演時には不評でしたが、1918年にイタリアの名指揮者トスカニーニによって北イタリアのミラノで再演されると評判となり、レスピーギの出世作となったのです。そして、イタリアの栄光を、正面から、高らかに歌った交響詩として、長く人々に愛される曲になりました。
レスピーギは、これに気を良くしたのか、この後も、ローマに関する交響詩を作曲し続け、3つの大きな作品を残すことになります。
本田聖嗣