音楽史を変えたモーツァルト、生誕260年の"記念日"...天賦の才が次々楽想生み35年の生涯に名曲550超残す
1756年1月27日、当時ハプスブルグ家が治めていたオーストリアのザルツブルク、ゲトライデ・ガッセ9番地に、一人の男の子が生まれます。洗礼名ヨハネス・クリストムス・ヴォルフガング・テオフィリス・モーツァルト。音楽の歴史を変えてしまった天才、モーツァルトです。器楽曲においては、ピアノやヴァイオリンといった楽器のソロ、少数の楽器を組み合わせた室内楽の数々、小編成のオーケストラむけのディヴェルティメントやセレナーデといった作品、ある程度大きなオーケストラ向けの交響曲、そして、今でも人気の高い「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」といったオペラの数々、さらに、合唱やオルガンも使った宗教曲の数々......ほぼ同時代で考えられるオールジャンルでおびただしい作品を残し、かつ、そのどれもが傑作です。少しあとの時代に同じウィーンで活躍したベートーヴェンも傑作の数々を残しましたが、彼は明らかにオペラにおいては積極的な作曲家ではなく、モーツァルトとは比べようもありません。
一度も学校へ行かず、6歳で神童、11歳で本格的作曲家
わずか35歳で亡くなってしまったモーツァルトが、その短い生涯の間でこれだけの傑作を作り上げたというのは、数々の人が分析していますが、いまだに「奇跡」としか言いようがありません。彼のクリスチャンネームである「テオフィリス」は神に愛された、という意味で、ドイツ語で「ゴットリープ」やラテン語で「アマデウス」と言い換えられることがあったようですが、彼は自分でラテン語の「アマデウス」を好んで使っていたため、アマデウス・モーツァルトと通称されることも多くなっています。ちなみに、イタリア語やフランス語にも堪能だったモーツァルトは、現地でサインするときは、ちゃんと現地の言葉風に、自分の名前を変化させています。彼は、文字通り、「神に愛された」人物だったのでしょうか?
ドイツのアウクスブルク生まれの父、レオポルドはもともと音楽家の家系でもなく、大学でも哲学などを学んでいましたが、音楽の才能を発揮して、留学先のザルツブルクで音楽家として就職する、という経歴の人でした。彼の著作のヴァイオリンの教則本などが全ヨーロッパで翻訳されて発売されたといいますから、教育家として才能があったようで、その彼が息子に全力で英才教育を施した、ということはほぼ間違いありません。モーツァルトは生涯1度も学校には行っていないのです。父の小さいころからの熱心な教育と、父がプロデュースしたヨーロッパ各地への演奏旅行の中で、一流の音楽を聴き、音楽家と出会い、彼らの教えも必要なら受け、モーツァルトは、6歳にして神童、11歳にして本格的な作曲家、そして、青年になる頃にはもうすでに熟練の作曲家となっていたのです。
「モーツァルト作品すべて」を推薦
もちろん苦労もありました。幼少期に天才ともてはやされた彼ですが、「神童も成長すればただの人」のことわざ通り、青年期にいざ就職する段階になって、ヨーロッパに戦雲が垂れこめ、苦しい立場に置かれましたし、20代後半からは経済的にも苦境に立ちました。また、成長期の過酷な旅行生活が彼の体力と成長活力を奪い、たびたび病気にもなり、ついには当時としても、異例の若さで亡くなってしまいます。
しかし、彼の才能は、凡人のように決して枯渇することなく、最後の最後まで尽きぬ楽想を彼に与え、人類史に残る名曲を550曲以上、残してくれたのです。
モーツァルトの作品は、決して奇をてらっていないのに、他人の作品に比べ個性的で、いつも快活です。どの曲も傑作ですから、今日は1曲を挙げず、「モーツァルト作品すべて」を推薦させていただきます。
本田聖嗣