理念を度外視してレッテル張りをするマスコミの愚

   ■「美 『見えないものをみる』ということ」(福原義春著、PHP新書)

   資生堂名誉会長である著者が、「美」の再発見を勧める気軽なエセー風の読み物である。

   ただし、骨董趣味のような偏った本ではない。資生堂の経営哲学や著者自身の体験談も盛り込まれており、何よりも著者の豊富な知見がふんだんに散りばめられている。財界随一の読書家とされる著者らしい、教養あふれる内容だ。

美 「見えないものをみる」ということ
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「美」は贅沢か

   コスメティック業界大手の名誉会長が「美」を勧める。それだけで「食うや食わずの庶民とは無縁の話だ」などといった情緒的な反発がありはしないか。本書を手に取ったとき評者はそんなことを気にしたが、著者はもちろん気にする素振りもない。

   むしろ著者は「単に贅沢と思われがちな美は、人間が人間として生きていくために、どうしても必要なものであることをお伝えしたかった」という。

   「人間が人間として」とは、要は「禽獣ではない人間たるものとして」ということだろう。著者は、本書で抽象的な美を語るのではなく、具体の生活文化に踏み込んだ話を展開する。

   とすればその主張は、憲法第二十五条第一項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と符号する。

   事はきらびやかな世界の在り方ではなく、日本人のライフスタイルにある。例えば四季を愛でる感性を「美」と呼ぶことは、少なくとも評者には違和感がない。著者の意見に賛同する所以である。

子育て中の女性社員の処遇

   ライフスタイルと書いて思い出すのは、NHKがセンセーショナルに報じた「資生堂ショック」だ。

   出産後の職場復帰を支援する育児休暇や時短勤務を充実させてきた資生堂が、その方針を転換し、子育て中の女性社員にも遅番などを割り当てる、としたことを指して、ショックと表現された。

   報道ではその狙いが多々語られていたが、育児休暇等が当然の権利視される反面で、子育て中の女性社員のキャリアアップが図れないなどの弊害解消を目指したものと受け止められたようだ。

   だが本書を読むと、「資生堂ショック」は、単なる人事政策の変更ではなく、社員の働き方そのものを根本から変えようとしているのではないか、と思えてくる。

名誉会長は「複線人生」

   著者は、本書序章で資生堂初代社長の「ものごとはすべてリッチでなければならない」という言葉を紹介し、リッチとは「本物や豊かさのこと」とする。このキーワードを軸に話題は多岐にわたるが、乱暴にまとめれば、全ての人が本物にふれ豊かな生活を送ることを提唱する。「全ての人」には、当然、資生堂の社員も含まれよう。

   さらに評者は、著者が自身の人生を「複線人生」と名付けたことに着目した。

   「複線人生」の内容として、著者は、本業の会社経営以外に様々な公職や趣味に多くの時間を掛けてきたことを嫌味なく語っている。

   そして「『仕事を日常、遊びを非日常』...という認識が一般的だが、二元論的に仕事と遊びを切り分けずに生きることで、より充実した人生を送り、より豊かなライフスタイルを築くことができる...結果として仕事も遊びもうまくいく...」と主張する。

丁寧さを欠いた短絡的な報道

   とすれば、俗称「資生堂ショック」なるものは、仕事だけに追われる、子育てだけに追われる、といった両極端に走る社員に、こう呼びかけているとも読める。

「仕事は仕事として平等に割り振るので、余暇も平等に割り振ろう。その余暇を使ってやることは子育てか趣味かボランティアか、多様でよいので、いずれにせよ『リッチ』な『複線人生』を目指してほしい。」

   そんな人事政策の嚆矢となるものを、本当に「ショック」と呼ぶべきだろうか。

   その意味で、一連の報道は、浅い、との印象を拭えない。

   現場を取材するのは良いが、報道は使用者側・被用者側の言い分を並べただけで満足していたように思われる。資生堂サイドにすれば、センセーショナルに改悪的な施策との報道をされ、後追い取材が殺到したために、経営トップの理想や信念までかみ砕いた説明をしきれなかった可能性がある。霞が関の施策でもままあることだ。

   しかも商品の話ではない、人事施策という内輪の話に突然の報道攻勢だ。守勢もやむを得まい。

「ショック」後の資生堂の次の一手に注目

   「ショック」と称した報道機関は、公表されている同社の長期ビジョンを読み込んで吟味したとは思えない。経営者が語る理念は、抽象的でお題目のようにも映ろうが、長期的にはその企業の盛衰を左右する極めて重要なものだ。

   企業の社会的責任を常に重視し、社会で最先端の人事制度を採ってきた資生堂ほどの会社であれば、日本社会の行く末を見据えた本質的な議論を重ねていることだろう。

   資生堂の投資家向けIR資料はホームページ上にも掲載され、記者のみならずとも誰でも読める。そこには、人事制度の見直しの目的として「組織の活性化と若返り」が掲げられ、いくつかの項目が例示されている。

   しなやかな若手が活躍する会社は、当然ながら、従来型のサラリーマン文化とは異なる内実を伴うはずだ。

    同社が次に何を仕掛けるのか。改革に痛みを伴うのは世の常だ。表面的な報道に惑わされず、今後の展開を丁寧に注視していきたい。

酔漢(経済官庁・Ⅰ種)

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