名曲に名旋律をかぶせたグノーの「アヴェ・マリア」
近代国家では著作権、ということがうるさく言われています。TPP(環太平洋戦略的経済連携協) などでも「知的所有権」は大きな要素ですし、最近ではインターネットの発達によりたくさんの人間がチェックするので、演歌歌手の作品が、某有名ミュージシャンの歌詞にそっくりで、盗作ではとCD発売早々に指摘され、自主回収という騒動に発展したりもしました。
クラシック音楽の世界では、たくさんの素晴らしいオリジナル作品があるので、いわゆる「盗作」がないか...というと、実は、「使いまわし」は結構あるのです。もともと、20世紀までの西洋音楽は、長調と短調という2つの調がほとんど、そして厳格な和声の規則にも縛られていたわけですから、どうしても似た曲が出来てしまう...という事情もありますが、中には、時間がないために、自分の曲を使いまわす、ということをよくやる作曲家もいました。先週に登場したヘンデルや、作曲のペースが驚異的に速くて有名だったオペラ作曲家のロッシーニなどは、しばしば、自分が過去に作曲した作品を、アレンジして、新作の一部として用いましたし、かのモーツアルトでさえ、導入部だけ自作で、あとの主部は、別人の作品をそのまま応用(これはさすがに本人の許諾を得ていますが)した交響曲を作っています。
バッハのプレリュードに1小節だけ追加
今日の登場曲は、クリスマスシーズンに良く演奏される有名曲でありながら、伴奏が「そっくりそのまま他人の作品」という珍しい曲です。フランスの作曲家、シャルル・グノーの「アヴェ・マリア」です。
シューベルトやカッチーニの作品と並んで「世界三大アヴェ・マリア」と称されるこの作品は、ピアノで演奏される伴奏部分が、ほぼそのまま、かのヨハン・セバスチャン・バッハの「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番 ハ長調 プレリュード」を流用しているのです。正確には、1小節だけ追加していますが、前奏から、旋律が終わった後の後奏まで、ほとんどバッハ作品のオリジナル、という極めて特徴的な作品です。クラシックには「変奏曲」という伝統形式があるので、他人の作品をテーマにして、そのあと数々の変奏を加えて別の大きな曲にする...というパターンは多く存在しますが、「そのまんま伴奏に使う」という大胆な曲は、これ以外に思いつきません。しかも、グノーが「乗せた」旋律がまことに美しく、歌でも、器楽でも、よく演奏されます。歌詞は、福音書などから取られたラテン語の聖句で、他のアヴェ・マリアと同じです。
義理の父と息子の共同作品
この曲は、もともとグノーの即興演奏でした。137年も前に書かれたバッハのプレリュードを弾きつつ、その上に素敵なメロディーを、おそらく気軽な調子でつけていったのです。それを聞いていた、ピアニストにして作曲家、教育家でもあったピエール=ジョセフ=ギヨーム・ツィメルマンという人が、アレンジを思い立ち、ヴァイオリン(またはチェロ)とピアノ、そしてハーモニウムという編成の曲にして、1853年、「バッハの平均律による瞑想曲」として楽譜を売り出すことにしました。演奏会で演奏される小品としてふさわしいと思ったのでしょう、その目論見は当たり、大ヒットします。さらに、再びツィメルマンはアレンジを加え、今度は「アヴェ・マリア」のラテン語歌詞をつけた歌の曲とし、タイトルも「グノーのアヴェ・マリア」としたのです。現在ではこのタイトル、「グノーのアヴェ・マリア」として知られ、クリスマスシーズンや、結婚式の聖歌、コンサートのアンコール・ピースなどとして良く演奏されます。さらには、様々な楽器にアレンジされたり、クラシック以外の音楽にもなったりと、二人の予想をはるかに超える広がりを持つことになりました。
ちなみに、このツィメルマンという音楽家は、門下からビゼーやフランクといったフランスを代表する作曲家を輩出しただけでなく、娘のアンヌが後にグノーの結婚相手となっていますから、グノーの義理の父、でもありました。この特殊な成功作、「アヴェ・マリア」は、義理の父と息子の共同作品...いや、バッハと、グノーと、ツィメルマン3者の共同作品といえるかもしれませんね。
【筆者よりお知らせ】
このグノーの「アヴェ・マリア」をソプラノの上田純子さんと私・本田聖嗣で演奏したり、他の人気ミュージシャンも出演するインターネット・クラシック・ラジオOTTAVA(オッターヴァ)の楽しいクリスマスコンサートが、12月19日に東京都大田区のアプリコ大ホールでございます。くわしくは告知ウェブサイト「Buon Natale ! OTTAVAクリスマス・コンサート2015」をご覧ください。