梶田さん、小柴さん支えた「浜松ホトニクス」 ノーベル賞の陰に「テレビの父・高柳博士」の伝統が息づいていた
2015年12月10日はノーベル賞授賞式。素粒子ニュートリノの実態解明で今年の物理学賞を受賞した東京大宇宙線研究所長・梶田隆章さんもストックホルムでの授賞式に着いた。
梶田さんの「スーパーカミオカンデ」、そして2002年の受賞者小柴昌俊・東大名誉教授の「カミオカンデ」による研究を支えたのは、静岡県浜松市の光関連電子機器メーカー「浜松ホトニクス」。そこには日本のテレビの父といわれる高柳健次郎博士の教えを受けた技術が息づいていた。
「浜ホト」の技術があるから負けない
巨大な実験装置に整然と並ぶ、無数の丸い大きな眼球のような機器。これを製作したのが「浜松ホトニクス」だ。1979年、東京大学理学部の小柴昌俊教授から直径20インチの光電子増倍管の依頼を受けて開発に着手した。当時、世界でも類を見ない大口径の光電子増倍管だった。
朝日新聞によると、中心になったのは、工業高校出身の30歳前後の若い技術者たち。苦労して同社がその製造に成功したことが、二人のノーベル賞受賞につながった。まさに「浜松の技術」がノーベル賞を育んだことになる。小柴さんは最終講義で「浜ホトの技術があるので負けません」と同社を称えたという。
この20インチ光電子増倍管は2014年、世界最大の電気・電子・情報・通信分野の学会IEEE(米国電気電子学会)から、ニュートリノの観測に貢献したとして、「IEEEマイルストーン」に認定された。世界的に権威ある学会からも記念碑的な評価を得たのだ。
創業者は高柳博士の教え子
同社は1953(昭和28)年の創業。高速・高感度な光電子増倍管を代表とする光センサや各種光源(ランプ)の開発、製造、販売などを主な事業としている。現在は東証一部上場で従業員約3100人。自前の中央研究所も持つ。この分野では世界屈指の先端企業だ。
創業者は、テレビ技術開発の祖として知られ、戦前、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)で教えた高柳健次郎博士の門下生だ。
高柳博士は1926年12月25日、浜松高等工業で、世界で初めてブラウン管による電送・受像を成功させたことで有名だ。実験装置から片仮名の「イ」の文字が浮かぶ写真は教科書にも載っている。日本でラジオ放送が始まってまだ1年しかたっていなかった。いわば、そんなチャレンジ精神と技術力が脈々と「浜ホト」に受け継がれ、二人のノーベル賞につながったといえる。
次世代のノーベル賞を生む人材を育む
いま同社の社長はホームページで、こう高らかに宣言する――「光を通じて絶対真理とは何かを探るために、いまだ解き明かされていない領域を探求する。そして、そこから生まれる新しい知識にもとづいた応用の可能性をもとに、新しい産業を創成する。 これが私たち浜松ホトニクスの未知未踏を追求する精神です」。
社是は「絶対真理」の探求――。民間企業ではきわめて異例だが、実際にノーベル賞を支えたとなると、ナットクだ。
同社が貢献したのは小柴・梶田さんの研究だけではない。02年に島津製作所の田中耕一さんがタンパク質の構造と質量を分析できる技術でノーベル化学賞を受賞したが、その分析器にも浜松ホトニクスが供給した部品が使われていた。
静岡新聞によると、浜松市教委は今月から、浜松ホトニクスの光電子増倍管を市内の小中学生に紹介する講座を始めた。講座では、同社の担当者が光電子増倍管の実物を見せながら、ものづくりの重要性や将来展望などについて講義する。
鈴木康友市長は「浜松発の技術力がノーベル賞につながったことを誇りに思う。講座を機に、子どもたちが果敢に未来を切り開く人材に成長することを願う」と成果に期待を込める。浜松の子供たちから、やがて次の時代の「ノーベル賞」を育む人材が生まれるかもしれない。