近代フランスのフォーレが生み出した「懐かしく新しい」レクイエム
先週末、フランスの首都パリで恐ろしい事件が起こりました。パリの街に10年以上住んでいた私にとっては他人事ではありません。背景はどうあれ、このような理不尽な暴力行為が許されないという思いと、犠牲になった方々への哀悼、そして残された人々への痛切な想いでいっぱいです。
今週は、そのフランスを代表する作曲家、ガブリエル・フォーレの「レクイエム」を取り上げます。
師サン=サーンスらと「新しいフランス音楽の創造」目指す
19世紀終わりごろのフランスに、フランス独自の音楽を作ろうという動きがあらわれました。そのころのフランスは、イタリア人作曲家の手によるオペラが人気だったり、器楽作品においては、ドイツ人作曲家の作品に匹敵する作品が生み出されていない、という状態でした。政治的にも、普仏戦争で、ドイツ(プロイセン)に敗北したばかりだったのです。
そんな状況下で、教会のオルガニストでもあった作曲家、フランクや、サン=サーンス、彼の弟子でもあるフォーレなどがあつまって「国民音楽協会」という団体を旗揚げします。フランス人作曲家の手による、フランス独自の音楽を作って、上演する中で切磋琢磨していこうという目的のグループでした。見事にその運動は実を結び、この団体で初演された作品はフランス近代音楽の夜明けを告げる重要な作品となってゆきます。
ところが、「新しいフランス音楽の創造」を存命の作曲家たちによって目指したこの団体の中でも、次第に古い考え方の人たちと、新しい人たちの対立が起こります。守旧派の筆頭がサン=サーンスでした。一方、彼の弟子でありながら、フォーレは実に変幻自在の動きを見せます。彼は、自分の作品でも、伝統的な形式を守りながら、それには縛られず、短調・長調という今までの調性から逸脱する動きを見せながら、完全には離脱しなかったり、そのころフランスに大きな影響を与え、同時に反発されたドイツのワーグナーの手法を一見取り入れているように見せつつ、実は違う展開を見せたり、新しい和音の響きの中に、中世の旋律に似たフレーズを採り入れたり...と、ひとことで言えば、「相反するものの折衷」という不思議な音世界をつくりだしたのです。
彼の曲は、古典的な形式や調が使われているので、聴いていて安心感があるのですが、一方で、それまでのロマン派の音楽とは明らかに違う「新しい響き」があるので、どことなく不思議に感じてしまうのです。また、ダイナミクスにおいても「盛り上がるように見せてそれほどでもない」というような個所もあるので、日本的な「秘すれば花」というセンスにも通じるところがあります。
なつかしさと、開放感もたらすフランスらしい曲
フォーレの代表曲、おそらく彼の全作品中もっとも演奏される機会の多い「レクイエム」もそんな作品の一つです。死者のためのミサ曲である「レクイエム」は、古来よりたくさんの作曲家が作品を残していますが、フォーレのレクイエムは伝統的な教会のレクイエム形式なら当然含まれるはずの「怒りの日」という曲がどこにも含まれておらず、一方で、他のレクエムにはあまり見られない「天国へ」という終曲が書かれています。そのため、初演時には「レクイエムらしくない」とか、「死の恐れを描いていない」、「異教徒的である」という批判にさらされました。
フォーレがレクイエムに着手する直前に、彼の父と母が相次いで亡くなっているので、それをきっかけに作曲されたのか? という問いに対しては、「私のレクイエムは、特定の人物や事柄を意識して書いたものではありません。......あえていえば、楽しみのためでしょうか。」と答えていますが、このあたりも諧謔の効いた、フォーレらしい表現です。
彼は、自作曲で決して劇的な表現をすることがなく、声高に何かを主張する、ということもしませんでした。そのため、この「レクイエム」も当初は小さい編成のアンサンブルのために書かれていて、後年、パリ万博での演奏の時には、人から勧められて標準的なオーケストラ編成のスタイルに書き直しています。そのため、3つのエディションが存在していますが、現在では第3版が演奏されることが多くなっています。最初はあくまでも地味に、そして、人々の支持によって、少しだけ大きな曲にする...というところもまことにフォーレらしいといえます。
フォーレの「レクイエム」は、死者を弔うというスタイルの曲でありながら、どこか懐かしく、かつ、新しい不思議な響きを持って、聴く人々に、なつかしさと、開放感と表現して良いような慰めをもたらしてくれます。決して悲しさだけにあふれた曲ではないこの作品は、誠にフォーレらしく、かつフランスらしいといえましょう。
現在では、モーツアルト、ヴェルディの作品と並んで、「世界三大レクイエム」に数えられています。
本田聖嗣