「月光ソナタ」...月のことなど考えていなかったベートーヴェン
9月は、中秋の名月の月であり、今年は、たまたま月が地球に一番近づく時期と重なっていたところから、27日の暦上の月見、28日のスーパームーンの満月、と月を見上げた人が多かったのではないかと思います。
「楽聖ベートーヴェンが月明りの中散歩をしていると、一軒の家からピアノの音が聞こえてきた。近づいて見ると、家の中でピアノを弾いているのはなんと盲目の少女で、それに驚いたベートーヴェンは、家にお邪魔をして、興が乗ったので即興演奏をし、その楽想をもとに帰宅してから作られたのが『月光ソナタ』だ...」というエピソードは、ヨーロッパで作られたもののようですが、古い日本の教科書に載ったこともあって、長いこと信じられてきたようです。しかし、この話は全くの虚構でした。そもそも、ベートーヴェンは自作の曲に「月光」などのタイトルをつけることを嫌っており、彼のオリジナルではありません。
本人があずかり知らないところで命名
シューベルトの歌曲の作詞などで知られる、ルードヴィヒ・レルシュタープという詩人が、1楽章を聞いたときに、「ルツェルンの湖の月光が揺れる湖面にうかぶ小舟のようだ」とコメントしたところから、「月光ソナタ」と呼ばれることになった、というのが真相です。「運命」交響曲や「悲愴」「熱情」ソナタなどは、多少なりともベートーヴェンの意志が入ったネーミングなのですが、月光は、まったく本人があずかり知らないところで命名されたのです。
ベートーヴェンは、このソナタを「幻想曲風ソナタ」と名付けたのみでした。幻想曲、とはソナタやロンドといった形式にとらわれない自由な構造を持つ曲という意味なので、彼としては、ソナタ形式を意識はしているが、比較的自由な書法で書いた実験的な曲、という心積もりだったのでしょう。その斬新な試みの音楽の内容と、レルシュタープの言葉からとられたネーミングが合わさることによって、月光ソナタ、は名実ともにベートーヴェンのピアノ曲を代表する存在になったのです。ベートーヴェンは月のことなんかまったく考えていなかったはずですが、題名があまりにもポピュラーになってしまったため、第1楽章を聴くと広く月光の照らす風景を思い浮かべる人が、多いようです。
月の光どころか太陽のように燃える思いで...
ベートーヴェンが、月のことを考えていなかったとしたら、何を考えていたのでしょうか? この曲は、イタリアの伯爵令嬢で、ベートーヴェンのピアノの生徒であった、ジュリエッタ・グッチャルディに献呈されています。作曲当時31歳だったベートーヴェンに対して、令嬢はまだわずか17歳と、14歳も年下でしたが、どうやら、彼は恋心を抱いていたようです。身分の差から結婚は望みえぬこと、と自覚していたらしいベートーヴェンは、かなわぬ思いをこの曲に込めた、とも言われています。
とすると、創作である『月光ソナタ物語』も、少女が登場するお話ですから、あながち、由来の無いこととも言えないのかもしれません。ベートーヴェンは、風流に月の光を眺めていたのではなく、燃える思いを持って、ある女性を見つめていたのです。
本田聖嗣