田舎で「おいしい資本主義」 「アロハで田植え」が単行本に
都会っ子が田舎で米作りをする――そんな実験に、50歳にもなってトライしたのが著者の朝日新聞・近藤康太郎記者だ。ドタバタぶりは「アロハで田植えしてみました」という連載記事として朝日新聞朝刊に掲載され、評判になったから、ご記憶の人もいるかもしれない。
ただし本書は、連載をまとめたものではない。全面的に書き直している。どう違うかというと、新聞には書けなかった様々な思いを大量に加筆して載せた。その思いとは――。
多彩な登場人物
単行本のタイトルは「おいしい資本主義」(河出書房新社)。普通なら「都会っ子記者の稲作日記」とでもするところだが、大きく出た。要するに「百姓」をしながら「資本主義」や「生き方」に」ついて考えた、というわけだ。新聞連載の「米作り体験記」に、「哲学的考察」が新たにプラスされ単行本となった。
著者はこれまでに「リアルロック」「アメリカが知らないアメリカ」「『あらすじ』だけで人生の意味が全部わかる世界の古典13」「成長のない世界で、私たちはいかに生きていくべきなのか」など、音楽から古典、現代社会論まで、多数の著作を出してきた(一部は共著)。それらの知的蓄積をベースに、本書でも思索を重ねる。
何しろ、登場人物が多彩だ。長い「まえがき」は、ベストセラー「21世紀の資本」のトマ・ピケティについての論考から始まる。さらにルソーの「社会契約論」、旧ソ連の文学史から抹殺された作家ザミャーチン、名曲「カレーライス」で知られるフォークシンガーの遠藤賢司、ロックバンドのエレファント・カシマシ...。
本文中には太宰治、中野重治、エリック・ホッファー、アレクサンドル・デュマ、ハンナ・アーレント、野坂昭如、頭脳警察、ソレル、マルクス、カフカ、八木重吉、スライ&ファミリー・ストーン、TEARDROPS、スチーブン・キング、メルヴィル、高木仁三郎、レイチェル・カーソン、ジェームズ・ジョイス、ピート・シ-ガー、ハイデッガー、岡倉天心、ローリング・ストーンズ。「あとがき」には安倍首相も好きだという吉田松陰まで、様々な人々が順不同で登場し、自在に引用され、著者の論考の案内人となる。
たとえば、ハンナ・アーレントの「未来のユートピアを語る者は、必ずその世界の独裁者だ」との言葉を引きながら、著者はこう語る。
「理想の社会なんて語るな。革命なんか、犬にでも食わせろ。社会や世間じゃない。自分が変わるんだ。革命を起こすなら社会じゃない。自分に、革命を起こすんだ」。
50歳にもなって「自分に、革命を」という若々しさ――この本の推薦文で思想家の柄谷行人氏は「空前絶後、抱腹絶倒の生活と思想がここにある!」と大笑いの賛辞を寄せている。
「オールタナティブ農夫」として
朝日新聞文化部の記者だった著者が、初体験の米作りをすることになった理由は大別して二つある。ひとつは東京という資本主義の真っただ中から「ばっくれる」。
人生の大半を、東京やニューヨークという、あわただしい「資本主義社会」に生きてきた著者は、そこから「ちょっとだけ、降りてみる」ことにする。「あらぬ方へ、鼻歌でも歌いながら...消えちまう」ことで少し頭を冷やしてみようと考えた。
もうひとつは、将来どんなことがあっても生きていけるように、自分で食うだけのコメを自分で作れるようにする。それは、自分の糧食さえ確保できれば、あとは好きなことをして生きる「おいしい資本主義」があることを示し、それを実践するためでもあった。
では、真剣にスローライフ、ロハス生活に移行するのか、というと、そうではない。あくまで早朝1時間だけの農作業。著者によれば「オールタナティブ(本流ではない)農夫」。プロでも兼業でもないが、最低限の生活の糧を自分でつくる「オルタナ農夫」を目指した。
アロハシャツにカウボーイハット。中古のポルシェ・オープンカーで2014年4月、知り合いが一人もいない九州の諫早に赴任。まずは耕作放棄された田んぼを借りることから始める。草刈り、田起し、水路づくり。そして泥田のぬかるみで足を取られ、「地獄の黙示録」さながらの田植え。
「おめーだれだよ」――自分の田んぼで見知らぬ野郎にでくわす。シャベルで脅して、どかそうとしても、動かない。「お前こそだれだよ」。そんな目をして、大きなイモリがこっちを見つめている...。
自分こそ、よそ者、新参者。田んぼは、著者が大嫌いな気持ち悪い虫や両生類、爬虫類など「変態野郎」どもの宝庫だった。石垣の雑草刈りをしていると、太くて黒いヘビがとつぜん現れ、腰を抜かしそうになる。
活字世界のラッパー
著者は東京・渋谷生まれ。とはいえ、家には風呂もエアコンもない下流育ち。中学・高校は不良の周辺にいて、売られた喧嘩から逃げたことはない。協調性は常にC評価。新聞社に入ってからもチーム取材は大嫌い。サーフィン、自転車、格闘技と、40歳すぎても孤高のトレーニングに励み、体力には自信があった。ところが、高校時代の土方バイト以来、ひさしぶりにツルハシを振り下ろしてみると――。初めての農作業は甘くはなかった。著者の鍛え上げられた筋肉でさえ悲鳴を上げる。そんな様子を、ロック世代ならではの、テンポの良い文体でつづる。
句読点の打ち方や、巧みな行替え、などが独特のリズムとなり、活字を読んでいるのに音楽を聞いているような気分になる。意表を突くボキャブラリー。あちこちに毒づき、とうぜん自分自身も俎板に載せて、哄笑を取る作法も心得ている。時には変拍子も交えながら読者を自分の文章にぐいぐい引っ込んでいく。その奔放なトーク・テクニックは、まるで活字世界のラッパーだ。
新聞業界には、かつては破天荒、型破りな名物記者、名文記者が、どの社にもいた。最近は、記事に署名が増えたものの、ユニークな記者は逆に少なくなっている。
著者は間違いなく、今や「絶滅貴種」となりつつある、最後の「型破り記者」の一人だ。しかも、その感性と文体は、過去のどのような名文記者とも異なる独創性を持つことを、本書で改めて見せつけた。