「共働き社会」の実現こそが出生率上昇につながる
■「仕事と家族」(筒井淳也著、中公新書)
2040年、私事ながら、生きていれば後期高齢者(75歳以上)の仲間入りとなる。今から25年も先のことを占うなど無謀なことだが、確かに「人口構造」だけは既に決まった未来だ。世間では「市町村消滅」など物騒な予言が飛び交っているが、その頃の日本は未曾有の事態となることは間違いない。高齢化率は36%(現在は27%)、最も医療や介護を必要とする後期高齢者は2220万人、総人口の2割超を占める。
一番懸念されることは担い手不足の問題だ。現在の生産年齢人口(15歳以上64歳以下)は約7700万人、これが何と約1900万人も減り、約5800万人になるという。
これまでの社会保障政策は、高齢者の増加に伴って増える給付費をどう賄うかに専ら関心が払われてきたが、今後は、現役世代の頭数が大きく減少する中で、どうやって日本経済を支える担い手、とりわけ需要の増える医療や介護の担い手を確保するかが悩みとなる。
この担い手確保の問題は、本書が取り上げる「仕事」と「家族」、とりわけ女性の労働参加、そして、日本人の出生行動に直結する問題であり、政策の視点からは、社会保障にとどまらず、労働政策、さらには税制など広範な領域に及ぶ課題である。
本書は、「国際比較」という横串と「長期推移」という縦串を通して、日本の「仕事と家族」の現状を明らかにした上で、この担い手確保問題の解決に向けて、女性の労働力参加率を引き上げつつ、同時に出生率を上昇させるための方策を提示している。
「出生率」と「政府の大きさ」は無関係という意外な事実――女性労働力参加率と出生率いずれも高い国は「北欧」と「アメリカ」――
社会保障の観点からみると、「小さな政府」を代表するアメリカと「大きな政府」を代表するスウェーデンは正反対の国と理解されている。しかしながら、この両者は、女性がよく働き、そして、出生率が高いこと(2.0近く)で共通している。
他方、欧州随一の経済大国であるドイツや日本の場合、女性の労働力参加率はこれら2国に比べ低く、またフルタイム雇用が少ない。出生率も1.5を下回る水準が長期にわたって続き、少子化問題に悩んでいる。
著者は、こうしたデータを示した上で、「馴染みのある『大きな政府VS小さな政府』という枠組みに拘泥し、『政府(国)が寛容な福祉制度のもとで子育てや女性の就労を促進していないことが問題だ』として問題を単純化すると、対応を誤ってしまいかねない」と指摘する。
女性の労働力参加率と出生率との関係を歴史的に眺めると、いずれの先進国も雇用労働に従事する女性の増加に伴って、一旦、出生率が低下するが、スウェーデンやアメリカのように少子化を克服した国では、ある時点からこうした負の影響が緩和されるようになるという。その背景には、スウェーデンのような「大きな政府」の国では、育児休業のような両立支援制度の充実がみられ、アメリカのように「小さな政府」の国では、市場メカニズムを通じた柔軟な働き方が普及し、共に雇用労働と子育てが両立しやすい状況が生まれることによる。
その後、これらの国々では、女性の労働力参加がむしろ出生率の上昇と両立する状況が生まれる。1970年代以降、経済成長が鈍化する中で若年者の雇用が不安定化したが、これらの国々では、男女がカップルを形成し、共働きによって生計を維持するケースが増えてきたという。個々の雇用が不安定化しても二人で働けば家族としてやっていけるという考え方だ。共働きが生きていく上で合理的戦略となり、さらに仕事と子育てを両立しやすい環境が整っていることで、女性が働くことが出生率に正の効果を持ったのである。
これに対して、ドイツや日本では、それぞれアプローチは異なるものの、共通して性別分業(男性稼ぎ手モデル)が維持されたことから、女性の労働力参加率の上昇がなかなか出生率の上昇にはつながらなかったという。
性別分業の克服、すなわち「共働き社会」への移行が問題解決の鍵
著者は、日本で性別分業が長く維持され続けてきた事情を、日本の労働市場の特性から説明する。
日本の場合、1970年代以降の低成長の時代を、幸いなことに、欧米諸国と比べて極めて低い失業率で乗り切ってきた。それを可能にしたのが、①企業内での配置転換などによる雇用調整(内部労働市場)と、②パート、アルバイトなどの非正規雇用(外部労働市場)の活用であった。日本では、この2つのアプローチを組み合わせることで、正規雇用の夫の雇用を守り、その妻が低賃金ながら、柔軟に、働き始めたり、やめたりすることができる状況を維持してきたのである。
しかし、こうしたメカニズムは中高年世代にとっては有効な支えとなったが、若い世代にとっては、正規雇用への途を狭め、また、非正規雇用の待遇を低く抑えることにつながり、日本の晩婚化、ひいては少子化を深刻化させたという。
晩婚化、少子化については、こうした経済要因に加えて、女性の高学歴化による結婚観の変化(結婚のハードルの上昇)、欧米で見られるような成人後の独立志向の乏しさ(親との同居志向)なども拍車をかけている。
しかし、1990年代後半以降は、結婚後も働く必要があるとの意識が女性側に目立ち始めているし、男性側でも、結婚しても働いてくれる女性を求める人が増えている。つまり、若者にとって、女性の労働が「結婚生活を妨げるもの」ではなく「結婚生活を成り立たしめるもの」へと意識の転換が進んできているのである。
結婚をめぐる意識は、ようやく変わりつつある。しかし、カップルとなった後、子どもを持ち、育ててゆこうとする夫婦が増えるためには、経済的にやっていける見通しが立たなくてはならない。著者の言葉を借りれば「共働き戦略」が成り立つ必要がある。
つまり、男性正社員の賃金が伸び悩む中で、男性正社員とパート労働をするその妻という構図ではなく、女性がそれなりに高い賃金で仕事が続けられる、あるいは労働市場が柔軟で、女性が出産を機に一度仕事を辞めても、ある程度条件のよい仕事に復帰できるという見込みがなくてはならないのだ。
日本でも女性労働力参加率と出生率の同時上昇の機運――「日本的働き方」の抜本見直しが不可欠――
2006年以降、日本でも、ようやく出生率は反転し、女性の労働力参加率と出生率の関係も正に転化した。しかし、残念ながら、その動きはまだ弱々しい。また何よりも団塊ジュニア世代が30歳台後半に入ってしまい、日本の出生「率」の回復が、出生「数」上昇のチャンスを逃してしまったことが悔やまれる。
しかし、今後、人口が大きく減りゆく日本の将来を考えるとき、働き手は無論のこと、将来の担い手(子どもたち)が生まれてくる状況を作っていくことが大切だ。つまり、男女が共によく働き、共に子育てをする「共働き社会」を実現していく必要がある。
そのために著者は、何よりも「日本的な働き方」を抜本的に改める必要があると強調する。
具体的には、日本の正社員に求められる三つの無限定性(職務内容、勤務地、労働時間)に歯止めをかけることだという。つまり、企業の命令に従って、①営業、企画、人事、経理などどんな職務でもこなす、②国の内外を問わず転勤する、③残業、休日出勤を厭わず働く、といった正社員の労働慣行を見直すべきというのだ。
男女雇用機会均等法などの既存法制も、この労働慣行を前提としている限り、むしろ、女性に対し、「日本的働き方=男性的働き方」を求める仕組みとして機能し、「差別禁止」を謳いながら、その実質は従来どおりの性別分業を維持する結果となっていると指摘している。
女性の本格的な就業に負の影響を与えている税制や社会保険制度(配偶者控除制度や第三号被保険者制度)の改革とともに、この「日本的な働き方」を改めることで、女性が本格的に働き、家計を支える存在となり、かつ、男女が共に子育てをする社会(共働き社会)が実現するという。
就職以来、30年近く、前述の無限定的な働き方をしてきた評者にとって、こうした指摘は、自らのこれまでの歩みを否定されたような一抹の寂しさを覚えるものの、間もなく本格化する人口減少社会を乗り切っていくためには、避けては通れない途であり、むしろ、「仕事と家族」の新しい楽しみ方かなと思う。時代は変わり、それにつれて人も変わっていくのだ。
厚生労働省(課長級)JOJO