本人は公表するつもりがなかった名曲

   ■ショパン「幻想即興曲」

   先週は、フランスの作曲家、ベルリオーズの怪作「幻想交響曲」をとりあげましたが、今週は幻想つながりで、ポーランド人ですが同じフランスで活躍したショパンの有名曲「幻想即興曲」の登場です。

幻想即興曲の楽譜
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「その他」として分類されるような形式

   クラシック音楽における「幻想」や「幻想曲」―英語やフランス語の原題では「ファンタジー」となりますが―とは、古典派の時代からあった曲の形式です。ソナタやロンドや変奏曲といった曲の構造から名づけることもできず、かといって、メヌエットやワルツのように舞曲の形式もとっていない、非常に自由なスタイルで書かれた曲、つまり「その他」として分類されるような形式の曲に、しばしば作曲家が「幻想」のタイトルをつけてきました。さらに、ロマン派の時代は、文学においても「幻想文学」が流行したので、音楽の世界においても幻想、というタイトルを持つものが増えています。従来の形式に縛られないジャンル、と言い換えてもいいでしょう。ベルリオーズの幻想交響曲は、特異なストーリーの内容が幻想的、とも言えますし、交響曲というスタイルからの脱線具合が「幻想」と解釈することもできる...。とにかく斬新なことに対して「幻想」とつけたのではないかと思われます。

もっとも有名で人々に愛されているショパン幻想作品

   ベルリオーズと同じ1800年代の前半にパリで活躍したピアノの詩人、ショパンは、ほとんどピアノ作品しか作曲しませんでした。純粋な管弦楽作品は作っていませんし、協奏曲においてもオーケストラパートはあまり緻密に書き込まれておらず、室内楽作品も数えるほどですから、文字通り「ピアノを愛した作曲家」です。彼の作品は、「ソナタ」「練習曲」「前奏曲」「円舞曲(ワルツ)」「夜想曲(ノクターン)」「ポロネーズ」「マズルカ」「バラード」「スケルツォ」と、曲の形式と番号をタイトルにしたものが多く、曲に言葉で固有の題名をつけることを好みませんでした。

   ショパンも「幻想曲」を1曲書いています。そのほかに、幻想ポロネーズと、今日の1曲、幻想即興曲と、合計3曲の、「幻想」のタイトルをもつピアノ曲を作っています。その中で、もっとも有名かつ人々に愛されているのが「幻想即興曲」であるのは間違いないでしょう。クラシックの音楽会で演奏されるのみならず、他のジャンルのミュージシャンもオマージュ作品を数多く生み出していますし、CMや、フィギュアスケートの伴奏曲としてつかわれることも多く、ショパンの作品の中で、夜想曲第2番とこの曲が知名度で東西の横綱だな...と感じるぐらい、親しまれている曲です。

楽譜の廃棄を友人に託したが...

   しかし、この曲のみ、「幻想」と名付けたのはショパンではなく、別人なのです。それどころか、彼自身は、この曲を世に公表するつもりさえなく、遺品の中にある楽譜を「廃棄してくれ」と友人に託して亡くなったのです。その友人、ショパンを支えたポーランド人のジュリアン・フォンタナは、自らも作曲をたしなむ程度の音楽の素養がありました。そのため、遺品の中にあったこの曲を捨てるにはあまりにも惜しい名曲だ、と気づき出版することにしたのみならず、単なる「即興曲 Op.66」という作品に、「幻想」のタイトルを加え、「幻想即興曲」として出版させ、大ヒットにつなげたのです

   ショパンがこの曲をなぜ、公表せず廃棄するようにフォンタナに言い残したかは定かではありません。出来を不満におもっていたとか、他の曲に似すぎている部分があるために盗作疑惑を心配した、とかいろいろ言われていますが、現在でも謎です。

   また、フォンタナに作曲の知識があったために、「幻想」のタイトルをつけ加える以外にもショパンのオリジナルに手を加えたため、現在では、自筆譜―つまり本当のオリジナルから、復元された「ショパン正統版」の楽譜も出版されています。人々に広く知られている「幻想即興曲」は「ショパン作・フォンタナ編」というべきバージョンだったのです。

    しかし、それらの歴史の偶然を乗り越えて、人々に愛されているこの曲の本質こそ、「ショパンの音楽」ではないでしょうか。一度聴いたら忘れられないメロディ、右手と左手が微妙にずれて演奏される主部、全体を覆う悲劇的な雰囲気、ピアニスト・ショパンのエッセンスが感じられます。

本田聖嗣

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