ドイツオペラを確立させた「魔弾」
オペラ作曲家として地位を築き、国の独立に影響を与えて国会議員まで務めたヴェルディのような音楽家を輩出するイタリアは、オペラの母国であり、先進国です。では、「クラシック音楽」として見た場合の状況は、どうでしょうか?イタリアと同じぐらい重要な国であり、現代でも、もっともクラシック音楽が盛んなのがドイツです。
今日とりあげる作品は、「ドイツ最初の国民的オペラ」という作品、カルル・マリア・フォン・ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」です。
オペラの母国、先進国はイタリア
オペラにおいてイタリアが先進国であるというのは、昔も今も共通認識で、それゆえ、他の国では「イタリアの作品をイタリア語のまま上演する」という習慣が多くありました。現代の日本で、ハリウッド映画を日本語字幕で上映するようなものですね。パリには、「イタリア座」というイタリアオペラだけを上演する劇場が存在しましたし、ウィーンで活躍したモーツアルトのオペラ作品も、「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」、「コシ・ファン・トゥッテ」など宮廷で上演された主な作品はほとんどイタリア語で、ドイツ語で書かれたものは、初期の習作のほか、「後宮よりの逃走」、地元の民間劇場で上演された最後の作品「魔笛」など、数えるほどしかありません。それほど、古典派・ロマン派の時代を通してイタリアオペラの優位性は圧倒的でした。優れたオペラ作曲家を輩出する土壌があったり、優れた歌手を供給する教育があったり、台本や演出まで手配する敏腕プロデューサーの系譜があったりと、イタリアには、オペラのすべてが揃っていたからです。
欧州諸国でたかまる「わが国のオペラ」を求める動き
しかし、現代の日本で、字幕付きハリウッド映画に対し、日本語吹き替え版がじわじわと人気を高めているように、ヨーロッパのイタリア以外の国でも、「わが国のオペラ」を求める動きは、確実に高まってきました。旧体制、つまり、王侯貴族がパトロンとなる時代から、革命騒ぎを経て市民が力を持ち始めるようになると、そういった動きがより顕著になってきます。
天才モーツアルトでもなしえなかった、「ドイツ人によるドイツ語の、ドイツを舞台にしたドイツ風オペラ」を作ったのは、彼の遠い親戚でした。(ちなみに、モーツアルトのドイツ語オペラの代表作「魔笛」も舞台はエジプト...ハリウッド映画が「宇宙」をしばしば舞台にするのと同じく架空の舞台で、ドイツ語オペラではありますが、イタリアオペラ的な影響が感じられ、ある意味突飛な舞台設定です。)モーツアルトの妻コンスタンツェは旧姓をウェーバーといい、その23歳年下のいとこが、カルル・マリア・フォン・ウェーバーなのです。音楽家の一族だったのですね。モーツアルトは現在ほど世界的に有名ではありませんでしたが、ウィーンで活躍した彼のことは、ウェーバーはかなり意識していたようです。父親が義理の甥であるモーツアルト2世にすべく、少年カルルに英才教育を施したからです。
「真のドイツオペラ」めざしたウェーバー
ウェーバーは音楽家として成長し、ピアニストとして、またオペラの指揮者として活躍します。小さな歌劇場からキャリアを出発し、ザクセン王国のドレスデンで歌劇場音楽監督を務めている時、「真のドイツオペラ」を作ることを思い立ちます。
ドイツに伝わる民話をもとにした小説を台本の基礎とし、舞台は当時ドイツ領だったボヘミアの森、という設定が非常にドイツ的、さらに、「魔弾」をあつかう猟師が主人公で、勇壮な狩人たちの合唱が出てくるところも、イタリアとは明らかに違う、「ドイツ風」の設定でした。専門的には、語りの部分も「レシタティーヴォ」といって旋律をつけてしまうイタリアオペラスタイルではなく、純粋にセリフとしてはなす「ジングシュピール」という形式――もちろん、地元のドイツ語を使用しているわけですから、観客はそのまま理解できるわけです――にしてあり、これははっきりと、イタリアオペラとの決別を宣言している様式でした。
さらに、ウェーバーが計画的だったのは、この「とてもドイツ的なオペラ」を、地元ドレスデンではなく、もっとも支持されそうなプロイセン王国のベルリン――のちに「統一ドイツ」の首都になる都市――で、初演することを決意したことでした。彼の目論見どおり、このオペラは、ベルリンで熱狂的フィーバーを巻き起こし、以後記録的な上演回数を重ねます。そして、「ドイツオペラを確立した作品」として、記憶されることになったのでした。
熱狂した観客の中には、当時まだ10歳になっていなかった少年リヒャルト・ワーグナーも含まれていました。彼もまた作曲家として「とてもドイツ的な歌劇」を作ることになるのですが、その話は、またの機会に書くことにしましょう...。
本田聖嗣