安倍首相の米議会演説と戦後の和解めぐる代表的な一冊
4月29日に、訪米した安倍総理は、日本の総理大臣としてはじめてアメリカ合衆国の連邦議会の上下両院合同会議で「希望の同盟へ」とする日米関係史に残る演説をした。日本にかかわる様々な事柄を多言語で紹介するnippon.comの編集担当理事の間宮淳氏(元「中央公論」編集長)は、「安倍首相アメリカ議会演説の読み方」で、①日米間の戦争和解、②戦後の世界秩序への評価とその強化策としてのTPP積極推進、③一連の安保法制改正と新ガイドラインなどにより日米同盟が新たなステージに上がったこと――とその意義を整理する。
特に、クリント・イーストウッド監督の2006年公開の硫黄島2部作(「父親たちの星条旗」・「硫黄島からの手紙」)で日本でも再認識された、硫黄島の激戦であるが、これに参加した海兵隊のスノーデン元大尉(当時)と、硫黄島守備隊司令官、栗林中将の孫の新藤前総務大臣が、安倍総理の紹介で、傍聴席で握手したことはとても意義深く感じられた。
間宮氏は、20年前のスミソニアン博物館での「エノラ・ゲイ50周年記念特別展」の企画で原爆被害の展示が議会関係者も含めた米国側の広範な反対でできなかった一方、その直後にドイツのドレスデンの無差別爆撃の追悼式典に、米英の軍トップが参加したことを回想し、日米の和解も「ようやくここまで来たというのが実感」という。
戦後の和解についての代表的な1冊は、日英の戦後和解に実際に関わった、小菅信子氏の「戦後和解」(中公新書 2005年7月)だ。小菅氏は、冒頭の章で、「和解」、英語で「reconciliation」の意味を再度確認する。和解の対義語は、「復讐」(revenge)だという。
日中、日韓の戦後和解の困難さを痛感
「復讐」は、人が愛するものや大切なものを失ったときに抱く、自然で強烈な衝動であるのに対し、「和解」は、復讐、怨恨、憎悪や怒りが、自らの社会にとっても、かつての敵との関係にとっても、有害で、究極的には混迷と無秩序につながることを学習してはじめて取り得る行動だという。本書では、「忘却」が許されなくなった戦争観の転換、日本とドイツの異なる戦後の歩み、英国との和解の経験を論じ、日中和解の可能性が考察される。小菅氏は、ひとつの記念碑に集って、ひとつの歴史認識のもとで平和と友好を誓い合うというようなイメージは、「戦後和解」のゴールからは遠いとする。労作「外交ドキュメント 歴史認識」(服部龍二著 岩波新書 2015年1月)には、淡々とした筆致で、日中、日韓の戦後和解の困難さを痛感させられる。日米の和解も、日米のねじれを洞察した好著「「反米」日本の正体」(冷泉彰彦著 文春新書 2015年4月)を読めば、まだまだ道遠しではある。
小菅氏は、本書のあとがきで以下のように指摘する。「筆者は、過去に根差した感情対立の解決としての戦後和解のエッセンスは、未来の平和と友好を担保にした高邁な妥協であると考える。正義のまえでは、妥協という言葉はなんともみすぼらしい。だが、ともに生きていかねばならないとしたら、過去を忘れるよりも許すことがはるかにやさしい。個人であれ、集団であれ、正義を追い求めるだけでは和解は成立しない。重要なことは、修正できない過去を踏まえて未来を見据え、あるべき未来を担保として現在に生きるわれわれが、いかに妥協を決意し、どのように許しをデザインしていくかにある。筆者の議論はいまだ十分なものとはいえないが、この本のねらいは、過去に縛られ混迷する現代の社会で、正義よりも妥協こそが必要とされていることを主張することにもあった。」と。
経済官僚(課長級)AK