風の画家・中島潔はなぜ「平成の地獄絵」を描いたのか
「絵描き―中島 潔 地獄絵1000日」(西所正道著、エイチアンドアイ)
「風の画家」といわれる中島潔氏は、2010年秋、京都・清水寺塔頭成就院に46枚の襖絵を奉納したことで話題となった。翌年1月、ノンフィクションライターの西所正道氏は中島氏を取材。襖絵を完成した後にガン治療をしたという中島氏は「これからは日本人の心の礎になっている古くからの祭りや言い伝えを描きたい」と話していたが、2か月後に起きた東日本大震災で西所氏はこの言葉を思い出し中島氏に会いに行く。
全国の祭りや言い伝えを訪ねる中島氏に密着取材を始めた。だが、画家の構想はやがて「地獄絵」に絞られていく。70歳を越えた画家が地獄絵を完成させる過程に伴走し、同時進行のドキュメンタリーとしてまとめたのが『絵描き―中島 潔 地獄絵1000日』だ。
子どもたちに命の尊さを教えたい
独学で画家になった中島氏が注目されたのは1982年。NHKの「みんなのうた」の「かんかんからす」のイメージ画を手がけ、可愛いのにさびしげな少女の絵が大反響となった。「風の画家」と形容したのは、シンガーソングライターのさだまさしさんだ。「中島さんの絵には、切なくて限りなく美しい風が常に吹き続けている」からだという。その中島氏がなぜ恐ろしい地獄を描こうと考えたのか。「悪いことをしたら地獄へ落ちる」と子どもを叱ることも今は少なくなり、地獄は現代の生活からは遠くなったことが理由のひとつにある。地獄絵を通して子どもたちに悪いことをすると地獄で罰を受けることと、命の尊さを教えたかった。
しかし、描きだすまでには時間がかかった。実際の地獄絵とはどんなものなのか。それを所蔵する京都の六道珍皇寺を訪ねた。六道珍皇寺は「冥界の入り口」といわれ、京都の人たちはお盆の前にご先祖様を迎えるために同寺を参詣する「六道参り」をする風習がある。地獄絵を見たら恐ろしくなった中島氏だが「自分にしか描けない現代の地獄絵を描く」ことにこだわるようになる。
地獄に地蔵菩薩を描いた「地獄心音図」
5枚組となる地獄絵が1枚描き上がるたびに、西所氏はアトリエを訪ね、画家の心の軌跡を追う。その合間に中島氏の妹や姉、広告代理店で働いていたときの社長や同僚、1歳から高校卒業までを過ごした故郷・佐賀県の友人などに取材。わらべ画から女性画、源氏物語五十四帖、清水寺の襖絵、唐津くんち祭り、そして地獄絵へと向かっていく絵の変遷に、独学で日本画を学び、自らを追い立てながら厳しい道のりを歩んできた画家の人生を重ねて人物ノンフィクションに仕上げた。
12ページのカラー口絵には、中島氏の代表作のほか、六道珍皇寺が収蔵する地獄絵3枚と中島氏が描いた5枚組の「地獄心音図」が収められている。
「地獄心音図」は4月29日から5月6日までのゴールデンウイーク期間中に六道珍皇寺で特別公開された。5枚目の地獄絵に、救いの手をのばす地蔵菩薩が描かれている。最初は考えていなかったのに、描き進めていくうちに「悪いことをして罰せられても悔い改めれば、生き直すことができるよ」との思いをのせた。「地獄心音図」はこれから全国を巡回し、3年後には同寺に奉納される。襖絵も地獄絵も奉納されたのは京都のお寺。伝統を大切にしながら常に新しいものを取り入れていく京都の奥深さがわかる一冊でもある。