19世紀パリに君臨したオッフェンバックの「オルフェオ」

   先週とりあげた、クラシック史上最初の作品ともいうべきモンテヴェルディのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」は、後期ルネサンスの、「ギリシャ演劇復興運動」の雰囲気の中で題材が選ばれたわけですが、不思議なことに、この作品(というか原作)は、クラシック音楽の節目節目で、なぜか重要な役割を演じます。

   今日取り上げる作品は、数ある「オルフェオ」の中でも、もっとも奇想天外な作品、19世紀パリを席巻した作曲家ジャック・オッフェンバックの作品、「地獄のオルフェ」です。

   この作品は、真面目なオペラというよりは、皮肉かつドタバタ喜劇として書かれたもので、「オペレッタ」というジャンルに分類されることも多いのですが、オペラも書いていたオッフェンバックは、数々のオペレッタ作品で当たりをとり、パリで大人気となります。

   モンテヴェルディの「オルフェオ」の作品の後、バロック時代のオペラは、去勢されたカストラートと呼ばれる歌手たちなどが、自分の声を披露するための、即興性の強い、演奏家に任された作品が流行し、「演奏家の死後は後世に残りにくい」作品ばかりになります。しかし、18世紀古典派の時代、ドイツ生まれの作曲家グルックが、作曲家が書いた音楽に重きをおくオペラ作品を発表して、「オペラ復興運動」というべきムーブメントを起こし、それが、モーツアルトなどの作品につながってゆきます。グルックがこの題材を選んだのは、もちろん、モンテヴェルディやペーリの作品が念頭にあったからだと思われます。

日本でもさまざまなアレンジで楽しまれている「天国と地獄」の楽譜
Read more...

日本でも「天国と地獄」で知られ、CMや運動会で耳に

   時代がさらに下って19世紀、ドイツ生まれのユダヤ人として、「史上最初の外国人の生徒」として、私の母校でもあるパリ国立高等音楽院に入学を許された彼は、「オッフェンバック」というドイツの香りのするフランス風名前に変え(本名はエーベルストといいました)、パリの流行を敏感に感じ取ります。

   おりしも、万博などの流行で、各地から観光客もたくさん来るようになってきたパリで、芸術というよりは、わかりやすく、エンターテイメント的側面の強い音楽劇が求められるようになっていました。オッフェンバックは、まだ当時、いろいろあった当局の演劇・音楽に対する規制をかいくぐりながら、自分の劇場で、次々と、政治風刺などをもりこんだオペレッタ作品を上演し、ヒットさせます。

   「オルフェオ」は、先週書いたように、もとはギリシャ神話の悲恋物語なのですが、オッフェンバックは、それを「ダブル不倫をしている仮面夫婦の物語」に書き換え、音楽も、悲劇から一転して底抜けに明るい喜劇調に転換するなどして、抱腹絶倒のオペレッタを完成させます。彼の目論見は成功し、この演目は、大成功、といえるぐらいのロングランヒットを記録して、現代でも上演される演目になっています。

   といっても、雑に作ったわけでなく、非常に念入りに練られた作品だと思われるのは、この作品の台本作者の一人、リュドヴィック・アレヴィは、2週前の名作オペラ、ビゼー「カルメン」の台本作者でもあります。脚本は専門家に...オッフェンバックは適材適所ということも知っていたようです。

   そして、東洋の国、日本でも、このオペレッタは良く知られています。オペレッタ上演そのものを知らなくても、第三幕の序曲、いわゆるフレンチ・カンカンに使われる音楽は、「カステラ一番~電話は二番~」の歌詞と共にCMで流れていましたし、運動会などでも、よく使われています。「地獄のオルフェ」が原題なのですが、「天国と地獄」の名前で、知られています。

   「オルフェオ」を真面目路線から、パリ風ギャグ満載路線に変えたオッフェンバックですが、彼も「音楽の力」を自在に使いこなす作曲家だったのです。

本田聖嗣

注目情報

PR
追悼