「メサイア」...クリスマス気分が盛り上がるシーズンに「立ち上がる音楽」を
同じ西欧発祥の習慣でも、ハロウィーンはともかく、クリスマスは、いまや日本にすっかり根付いています。とはいっても、12月25日を過ぎると、ケーキが半額で売られていたり、クリスマスリースの代わりに松飾りが同じ場所で売られたりしている「変わり身の速さ」が日本の特徴ですが、クリスマスを知らないという日本人は、ほとんどいないと思われます。
キリスト教の信仰の本場である欧州では、クリスマス直前の1か月はアドヴェントの期間、つまりイエス・キリストの誕生を待ちわびる「待降節」です。クリスマス当日に向かって、宗教的な気持ちが盛り上がる飾り付けなどが増えていきます。おもちゃと遊園地とレストランとホテルの広告ばかりが、クリスマス気分を盛り上げるわけではありません。
今日は、そんなクリスマスをまちわびるシーズンにふさわしい、ヘンデルのオラトリオ(聖譚曲)、「メサイア」の登場です。
ハレルヤ...華やかさから復活祭からクリスマスの曲に
メサイア、とはメシア、つまり救世主イエス・キリストのこと。救い主の誕生を伝える預言者の声から、イエスの受難、復活とその栄光を讃えるという、聖書の大きな物語を題材としているので、元来は、イエスの復活を祝う、復活祭の前後に演奏される曲でしたが、現在では、その華やかさから、日本でも諸外国でも、クリスマスシーズンに演奏されることが多くなっています。特に、神をたたえる「ハレルヤ」コーラスは、単独曲としても、有名です。
ヘンデルは、生まれた都市こそ違うものの、生年はJ.S.バッハと全く同じ1685年です。バッハは生涯ドイツ圏を出なかったのに対し、ヘンデルは、イタリアに渡ったり、人生の後半は、イギリスに移住し、帰化までしています。「メサイア」は後期円熟期の作品ですから、「ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル」の作品ではなく、「ジョージ・フレデリク・ハンデル」の作品、と紹介すべきなのかもしれません。
初演はロンドンを避けダブリンで
「メサイア」の初演は、彼の活動の本拠地でもあった大英帝国の首都、ロンドンではなく、アイルランドのダブリンで行われました。キリスト教の信仰の中心である、救世主の物語を題材としている、ということで、教会からの批判もあったようで、ヘンデルも遠慮して、わざと首都から遠い都市の慈善演奏会で初演することにしたようです。ロンドンでの初演の評判も芳しくなかったものの、演奏が繰り返されるうちに、人気がじわじわと盛り上がり、その後、ヘンデルの名声を不動のものとする代表曲になります。実は、その直前、ロンドンでの人気が落ち気味だったヘンデルにとって、まさにオラトリオ自体が「救世主」となったのです。
合唱のところで聴衆が起立する理由は...
ところで、現代の演奏会でも、メサイアの上演中、「ハレルヤ」の合唱のところで、聴衆も起立する、という習慣があります。これは、ロンドン上演に臨席したイギリス国王ジョージ2世――実は、彼はハノーヴァー生まれの、選帝公ゲオルク2世でもあるので、ヘンデルと同じ「ドイツから来たイギリス人」なのですが――が「ハレルヤ」コーラスのところで感激して立ち上がってしまい、他の観客もそれに倣って立ち上がった、というエピソードに由来するものです。
現在、この話は、ほぼ作り話、と言われていますが、思わず立ち上がりたくなるヘンデルの力強い名曲は、ベートーヴェンの「第九」と共に、クリスマスと「年の瀬シーズン」にふさわしい気分と高揚感をもたらしてくれます。
本田聖嗣