著者を、そしていまなお読者を衝き動かす...太平洋戦争末期、沖縄からの海軍電文
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将一家の昭和史」(田村洋三著、講談社)
太平洋戦争末期の沖縄戦の最中、本土に打たれた海軍の電文がある。戦果報告や応援要請を一切せず、沖縄県民の献身的姿勢のみを記した異例のその電文の末尾はこう結ばれている。「一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
本書は、この電文の発信者、沖縄方面根拠地隊司令官・大田實(おおた・みのる)海軍中将の伝記である。平成四年夏から五年春にかけた読売新聞のシリーズ記事を元に、記事執筆の中心人物であった同大阪本社元社会部長・田村洋三氏が退職後に補完し出版した。 連載という由来がありながら、著者が田村氏個人であり新聞社○○取材班ではないところに、本書の性格が表れる。電文に衝き動かされた著者の情熱こそが、紙面連載と本書を成立せしめたのであろう。
後世を動かす
衝き動かされたのは田村氏のみでは無論ない。故山中貞則議員はその代表と言えよう。山中氏はインタビューで、この電文に接したときのことを語っている。「驚きましたねえ。あの激戦を戦った将官の中に、県民にこれ程思いを馳せた人が居たのか、これこそ我々が引き継ぐべき沖縄問題の原点ではないか、と」(本書第二十九章)。その後の山中氏は、佐藤総理に沖縄問題を内閣の重要課題と設定せしめ、同内閣で総務庁長官として沖縄返還に力を尽くすことになる。
移設に揺れる普天間飛行場も、交渉当初は米軍が返還に応じるはずもないと思われていた。それを見事返還合意に持ち込んだ橋本龍太郎元首相も、この電文に接していたと聞く。さらに小渕恵三元首相が沖縄でのサミット開催を決断するに際しても、この電文の存在が大きかったと伝えられている。
中将の電文は、国家安全保障の文脈において重要な地位を占めざるを得ない沖縄の民情に、多くの為政者の目を向けさせる役割を演じてきたと言いうるであろう。
公的・私的両面からの昭和史
本書の書き出しは平成3年ペルシャ湾への掃海艇派遣に始まる。指揮官を務めた落合畯(おちあい・たおさ)海将補(当時)が大田中将の三男だからである。乗組員の家族への配慮を尽くす指揮官のエピソードは、人命を尊重した大田中将の人柄ひいては電文への伏線となり、読者は激動の時代を生きた大田中将一家の物語に引き込まれていく。
第二章以下では、大田中将の御息女・御子息の証言いわば中将の私生活を縦糸、陸戦の大家・海軍随一の剣道の名手とされた中将の戦いぶりを横糸に、戦前そして戦後の「昭和」が描き出される。
中将はながく男児を得ず女児が続いた故、証言に女性の視点が多い。これが本書に独特の色彩を添える。日常生活における父親の些細な表情の変化や、訪れる後輩たちの雰囲気から読み取る時代の空気は、女性でなければ捉え得なかった昭和史の貴重な一面ではなかろうか。沖縄赴任が決まったときの父母の顔色を証言する当時の子どもたちの語り口などは、淡々として却って痛々しい。戦争に関する書籍は女性には取っ付きにくいものと想像するが、本書は女性も共感できる部分が多かろう。
他方でジャーナリストである著者のプロフェッショナリズムは、防衛庁(当時)が公刊した戦史の矛盾をも鋭く突く綿密な取材に結実する。中将の遺徳を偲ぶ本書の性格からして幾分かの主観的な主張もなくはないが、丁寧な検証内容は、思い込みや誘導的思惑による歴史の歪曲はないと信じさせる安定感につながっている。
昭和そして沖縄を学ぶ契機に
昭和史は、その時代を生き抜いた幾千万人それぞれの数だけ存在し、書籍も膨大である。それら書籍では、軍の作戦や政治の動き、あるいは被害の悲惨さが語られるのが常であり、豊かな平成の世からすると重苦しさは免れない。
本書にもそうした記述はある。戦場の記述は悲惨の一言に尽きる。そうした中ではあるが、部下・県民を問わず命を粗末にさせぬ姿勢を保持した稀有の軍指揮官が主人公である点が、一筋の光明となっていると感じる。人権保障が徹底した現代の我々にとり、部下の死に事後うなだれ、民間人の保護を常に考えた中将の姿は、時代を超えた普遍的な価値を体現しており、より共感しやすかろう。
そしてその共感があればこそ、本書は沖縄を知る契機となり得る。本土の無関心こそが沖縄を孤立させる。本書を再読し、改めて沖縄を考える縁とする次第である。
酔漢(経済官庁 Ⅰ種)