新聞記者が目指すべき「理想の新聞」とは
公務員にとり、権力監視を旨とする新聞記者への取材対応は気が抜けない仕事だ。日本では、事実にコストと労力をかけ、世の動きをトータルに整理・伝達するメディアは新聞の他にはない。インテリジェンスの世界でも、当地の新聞をよく読むことが基本だという。
民主党政権では、「役所文化の見直し」という理由で新聞や雑誌の購読がばっさり削られた。日本新聞協会は2012年4月23日付けで野田総理(当時)に「国民の生活や利益を守るべき公務員は、日本や世界の情勢のほか、民意を絶えず把握する必要があります。そのためにはより多くの職員が新聞を読み、情報収集を行うべきと考え」る旨意見を申し入れた。しかし、この種の話は、残念ながら政権交代しても元通りにはならない。
自他ともに認める日本の新聞の代表格である朝日新聞が、2つの「吉田問題」で深刻な状況にある。記者レベルでの取材の基本の欠如と経営陣の事後対応の悪さが指弾されている。「報道記者のための取材基礎ハンドブック」(西村隆次著 リーダーズノート出版 2012年)で、「事実に謙虚であり続ける」ことの難しさを強調していたのを思い出す。
朝日新聞の敏腕記者、大鹿靖明氏の編著による「ジャーナリズムの現場から」(講談社現代新書)が先ごろ出た。大鹿氏は、「自由」がジャーナリズムのダイナミズムを生む源泉であるとし、「自分が取材しなければ誰も気が付かないことを、自分で掘り下げて取材、企画」するという広義の調査報道の必要性を指摘する。第6章の元NHKの坂上遼(小俣一平)氏の「日本のマスメディアは家父長的支配で成り立っていると考えています。」という指摘や、「新聞の時代錯誤―朽ちる第四権力」(東洋経済新報社 2007年)を世に問うた元日経の大塚将司氏の新聞社の経営体制の在り方に対する厳しい見方はとても興味深い。新聞社も他企業と同様コーポレート・ガバナンスの問題に直面しているのは明白だ。
2つの「吉田問題」のなか「深代天人」の評伝
河谷史夫(元朝日新聞素粒子コラムニスト)氏の「新聞記者の流儀~戦後24人の名物記者たち」(朝日文庫 2012年)は、「読みたくなるようなコラムがあり、関心を持たざるを得ない調査報道記事が踊っている新聞こそ『理想の新聞』なのである」と喝破する。名物記者列伝の最後に出てくるのが、1973年2月から約2年9か月天声人語を担当した深代惇郎氏だ。題は、「知性とユーモアに富んだ珠玉の『天声人語』」とある。夭折した深代氏の天声人語や文章は、本当に惜しまれて、当時4冊の本(「深代惇郎の天声人語」、「深代惇郎の天声人語<続>」、「深代惇郎エッセイ集」、「深代惇郎青春日記」)になった。
「文品」を「深代天人」にみた、著名なノンフィクション作家後藤正治氏による評伝「天人 深代惇郎と新聞の時代」(講談社)がちょうど出た。新聞週間のこのごろ、上掲の深代氏の著作と、深代氏の歩みを確かな取材で追ったこの著作をあわせ読み、「新聞」の意義を改めて考えてみる。後藤氏の愛する「まっとうな精神」の深代氏がいま現役ならば、西欧型自由民主主義の再確認のほか、内向きの日本のリベラル派が正面から立ち向かわない、チベット独立問題、ノーベル平和賞受賞者劉曉波(リュウ シャオボー)氏や香港の学生たちの民主化運動について、河谷氏が称賛する「『強烈な問題意識』の下、『ユーモア』のある『わさびのきいた』文章」を的確に書いてくれたに違いない。朝日新聞社には、自社の良質な水脈を代表する諸著作を是非再刊し、自らの中にある良き面を再度確認して欲しい。
経済官僚(課長級)AK